地主の在り方

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耕作する土地の所有状態で、農民の階層を自作、小作、自小作という三つに分けてみたが、自らの耕作能力を超えて土地を所有し、その土地の耕作者(小作人)から小作料を取得する者、地主についてもみておきたい。
 大正四年における各町村の土地所有状況を階層別にみると第四六表のとおりである。まず五反未満層では、大生村を除いてこの層がいずれも最も多い。この階層は自小作農として小作地を借り受けるか、他の職業を兼ねるものであった。五反~一町、さらに一~三町層を平均的な自作農あるいは、自作上層とみることが出来るが、この二つの階層を加えても、前の五反未満層に達しない村として、菅原、大花羽、五箇、三妻の各村がある。これら各村においては所有耕地をもたない小作層まで入れて考えると、圧倒的に零細な農民の多い村であったとみることが出来る。
 
第46表 耕地所有規模別構成
 ~ 5反 5反~ 1町~ 3町~ 5町~10町~50町~合 計
菅原村1164435201431233
大花羽村12550431474243
豊岡村1581389025951426
五箇村148507315103299
三妻村18349781774338
大生村509010823135284
水海道町1149558201083312
註) 茨城県農会『農業成績並副産品共進会報告』により作成


 
 つぎに三~五町層は自作地主と呼ばれるもので、自作地経営も行う傍ら、小作料収入もある、農村の中では最も安定した階層であった。五町以上層になると、自作地も勿論あるが、比重はむしろ小作地の経営に置かれる「旦那」であり、各村ともその数は極く少数であった。大地主になると小作料収入は、経営に参画する会社や銀行の運営資金にまわすとか、株式などへの投資を行い、利子等によりさらにその資産を大きくするか、失敗して財産を失うこともあるなど、資本主義経済に深く関わっていた。
 さらに大規模な地主になると、自村だけでなく他村にも所有地をもち、数町村に地租金を納める者もあった。また水海道町においては、農家戸数に数えられている者は一六〇戸程度であったが、所有者数では約二倍の三一二戸を数えている。これらは同町内の主として商家が、近隣農村に所有耕地をもっていたからであり、もともと他村に耕地をもっていた者か、あるいは、土地を他村に買い求めていた者かのいずれかで、彼らは商人であると同時に地主という側面をももっていた。