水海道地方において大地主といわれるものを見るため、大正一三年に農商務省が行った、「五十町歩以上ノ大地主」調査をみてみよう。これによると、菅原村坂野家(田畑合計七二・五町)、大花羽村草間家(同五四・四町)、豊岡村飯田家(同八七・六町)、水海道町青木家(同五六・五町)、同秋山家(一二一・七町)の五戸を数えている。水海道町の二戸は商家であり、農村部の三戸は農家であるとともに、常総鉄道の重役や銀行役員等会社経営にも参画した資産家たちであった。
この調査は土地所有のみ、それも五〇町歩以上という、限られたものであるが、先にみた第四六表の大正四年の調査によれば、一〇~五〇町歩所有という階層に、旧結城郡域七か町村だけで、三二戸の地主があった。これらの名簿や所有規模を具体的に明らかにするリストは今日では得られず、選挙人名簿等による納税額からおよその見当がつけられる程度である。
しかしここにみた地主は、基本的には戦後の農地改革に至るまで、農村の政治経済的支配者として、多くの小作農民に対してさまざまな影響力をもっていたことは事実であった。またその反面、小作料額等をめぐって、大正後期から昭和一〇年頃に至る期間に、大きな紛争が生じたことは第五章において記したとおりである。
しかし、資産家という点ではこれら大土地所有者よりも、資本主義的な諸営業、諸企業家の方が、より発展していた。大正末期と昭和初期における「貴族院多額納税者議員互選人名簿」をみると、そのことは明瞭となる。
氏 名 | 住 所 (職 業) | 直接国税 | 内 訳 |
地 租 | 営業税 | 所得税 |
| | 円 | 円 | 円 | 円 |
秋山藤左衛門 | 水海道町(会社員) | 4018.030 | 1052.240 | ― | 2965.790 |
山中彦兵衛 | 〃 (醬油醸造業) | 2830.230 | 706.450 | 329.300 | 1833.510 |
青木常吉 | 〃 (倉庫業) | 2155.410 | 790.450 | 108.560 | 1317.360 |
飯田憲之助 | 豊岡村 (農) | 1695.730 | 789.520 | 43.800 | 862.410 |
秋場三松 | 水海道町(織物製造業) | 1605.110 | 5.560 | 119.330 | 1480.220 |
草間輔二郎 | 大花羽村(農) | 1306.950 | 673.500 | | 633.450 |
坂野伊左衛門 | 菅原村 (農) | 967.710 | 530.200 | | 439.510 |
戸塚庄之助 | 水海道町(呉服商) | 966.850 | 23.000 | 268.000 | 675.850 |
註) | 大正15年「貴族院多額納税者議員互選人名簿」より作成 |
氏 名 | 住 所 (職 業) | 直接国税 | 内 訳 |
地 租 | 営業税 | 所得税 |
| | 円 | 円 | 円 | 円 |
秋山藤左衛門 | 水海道町(無職) | 2,399.960 | 1306.110 | | 1,363.850 |
秋場三松 | 〃 (織物製造業) | 2,298.920 | 15.030 | 516.000 | 1,767.590 |
山中彦兵衛 | 〃 (醬油醸造業) | 1,629.010 | 704.590 | 93.600 | 830.460 |
青木常吉 | 〃 (無職) | 1,041.830 | 612.380 | 15.400 | 414.050 |
野々村源四郎 | 〃 (肥料商) | 784.430 | 472.280 | | 313.150 |
草間輔二郎 | 大花羽村(農) | 667.990 | 516.330 | | 151.660 |
坂野伊左衛門 | 菅原村 (〃) | 571.210 | 430.040 | | 141.170 |
鈴木吉太郎 | 水海道町(無職) | 556.210 | 400.330 | | 155.880 |
武藤久兵衛 | 〃 (公吏) | 555.280 | 137.240 | 113.000 | 305.040 |
註) | 昭和7年「貴族院多額納税者議員互選人名簿」より作成 |
すなわち大正一五年の調査においては、五〇町歩以上地主のほか、水海道町の商家三戸(山中彦兵衛、秋場三松、戸塚庄之助)が県下上位二〇〇名のリストに名前を連ねている。なかでも山中彦兵衛の納める地租額は五〇町歩以上地主よりも高く、同家の卓越した資産状況をみることが出来る。また昭和七年の調査では野々村、鈴木、武藤という、いずれも町の資産家、企業家が名前を連ね、秋山、青木といった大地主とともに、町の資産家が農村の地主よりも優勢であったことを示していたといえよう。