日本の農地改革は世界的にみても極めてスムーズに運ばれた例とされるが、大づかみに改革前後(改革終了を昭和二五年八月とする)の自小作別農家数の変化をみると、小作農家は二八・七パーセントから二パーセントに、小自作農家は一八・六パーセントから四・二パーセントに大きく減少した。そして自小作農家は一九・八パーセントから二三パーセントに増加し、改革前に貸付地一町歩以上の地主(三・三パーセント)及び自作農(二九パーセント)は、合わせて七〇パーセントにまで増加した(石渡貞雄『農地改革の基本構造』)。また小作地率では改革前の四六パーセントから六・七パーセントにまで減少をみたのである。
このような大きな変革過程にあたった各町村の役場や農地委員会は、いかなる課題に、どのように対応したのであろうか。それを見るために、まず各町村において、農地改革前後における自小作地面積の変化をみておきたい(第五九表)。
第59表 町村別自小作地面積の変化 |
(単位:町) |
農地改革前 (昭和20年11月23日現在) | 買収 面積 | 売渡 面積 | 農地改革後 (昭和25年8月1日現在) | |||||
自作地 面積 | 小作地 面積 | 計 | 自作地 面積 | 小作地 面積 | 計 | |||
大花羽村 | 144.0 | 177.0 | 321.0 | 147.3 | 145.5 | 289.6 | 31.2 | 320.8 |
菅原村 | 279.3 | 372.4 | 651.8 | 296.9 | 296.9 | 576.4 | 75.6 | 652.0 |
豊岡村 | 279.8 | 269.1 | 549.0 | 235.8 | 214.7 | 494.6 | 54.3 | 549.0 |
五箇村 | 173.8 | 301.1 | 475.0 | 201.1 | 200.4 | 425.2 | 62.6 | 487.8 |
三妻村 | 266.8 | 270.7 | 537.5 | 197.8 | 197.8 | 483.8 | 72.6 | 556.5 |
大生村 | 255.5 | 286.1 | 541.7 | 213.4 | 213.4 | 487.9 | 72.6 | 560.6 |
水海道町 | 82.6 | 136.3 | 218.9 | 122.9 | 115.5 | 185.9 | 20.5 | 206.4 |
菅生村 | 225.2 | 265.8 | 491.1 | 181.4 | 181.3 | 407.5 | 98.6 | 506.1 |
坂手村 | 181.1 | 136.6 | 317.7 | 104.6 | 96.9 | 280.8 | 57.9 | 388.8 |
内守谷村 | 121.8 | 178.4 | 300.3 | 137.4 | 137.3 | 258.9 | 66.9 | 325.9 |
合 計 | 2009.9 | 2393.5 | 4404.0 | 1838.6 | 1799.7 | 3890.6 | 612.8 | 4503.9 |
『茨城県史料=農地改革編』により作成。ただし畝以下は切り捨て |
水海道市域全町村の小作地面積合計(約二三九四町)に対してその買収面積合計(約一八三九町)の割合は七六・八パーセントに及び、買収されたうちの大部分(約九八パーセント)が売渡されている。
町村別に改革前後の状況をみると、改革前に小作地率の最高だったのは五箇村で六三・三パーセント、最低だったのは坂手村の四三パーセントで、平均すると五四・三パーセントであった。これが改革後には、小作地率の最高は、二〇・五パーセントの内守谷村で、大花羽、豊岡、水海道の三町村においては一〇パーセント以下となった。
次に自作・自小作・小作の各農家別にその割合をみると、一〇町村全域を合わせて、自作二二・二パーセント、自小作三九・八パーセント、小作三八パーセントであった(『茨城県農業統計』昭和一五年)。この構成が改革後においては次のように変化した。
戦前において自小作として一括されていたものが、改革後は自作を主とする自小作と小作を主とする小自作に分けられ、小自作は極めて少なくなり、自作もしくは自小作農が圧倒的となった。しかし農地改革によって小作農がすべてなくなったわけではなく、全国や茨城県ではもちろんのこと水海道地方でも依然として八・八パーセントの小自作、小作農家が残った。この最大の要因となったのは、在村地主、しかも解放の対象から除外された零細の土地を保有する小規模な地主が多かったことを物語っている。また全国の自作農家比率は七〇パーセントであったのに対し、水海道地方は県平均をも下まわり、五〇パーセントにも達していない。これは自小作農の比率が全国より二〇パーセント、茨城県より約九パーセント上まわったこととも照合している。ただし小自作・小作合計の比率では県平均より五パーセント低かった。いずれも前にみた小規模在村地主の存在が、この地方の農地改革の在り方を決定し、不徹底なものにしていた。
第60表 改革後の自小作別農家数 |
自 作 | 自小作 | 小自作 | 小 作 | その他 | 合 計 | |
大花羽村 | 145 | 150 | 4 | 6 | ― | 305 |
菅原村 | 297 | 254 | 20 | 11 | ― | 582 |
豊岡村 | 238 | 232 | 60 | 29 | 1 | 560 |
五箇村 | 249 | 157 | 12 | 11 | ― | 429 |
三妻村 | 264 | 196 | 20 | 10 | ― | 490 |
大生村 | 291 | 157 | 11 | 7 | ― | 466 |
水海道町 | 123 | 102 | 17 | 34 | ― | 276 |
菅生村 | 195 | 321 | 45 | 15 | 1 | 577 |
坂手村 | 140 | 137 | 28 | 17 | ― | 322 |
内守谷村 | 113 | 127 | 15 | 5 | ― | 260 |
合 計 | 2055 | 1833 | 232 | 145 | 2 | 4267 |
茨城県 | 109444 | 72264 | 17722 | 11499 | 511 | 211440 |
第61表 同上比率 |
自 作 | 自小作 | 小自作 | 小 作 | その他 | 合 計 | |
大花羽村 | 47.4 | 49.0 | 1.3 | 2.3 | ― | 100.0 |
菅原村 | 51.0 | 43.6 | 3.4 | 1.9 | ― | 100.0 |
豊岡村 | 42.5 | 41.4 | 10.7 | 5.1 | 0.3 | 100.0 |
五箇村 | 58.0 | 36.6 | 2.8 | 2.5 | ― | 100.0 |
三妻村 | 53.9 | 40.0 | 4.1 | 2.0 | ― | 100.0 |
大生村 | 62.4 | 33.7 | 2.4 | 1.5 | ― | 100.0 |
水海道町 | 44.6 | 36.9 | 6.1 | 12.3 | ― | 100.0 |
菅生村 | 33.8 | 55.6 | 7.8 | 2.6 | 0.2 | 100.0 |
坂手村 | 43.5 | 42.5 | 8.7 | 5.2 | ― | 100.0 |
内守谷村 | 43.5 | 48.8 | 5.7 | 1.9 | ― | 100.0 |
合 計 | 48.2 | 43.0 | 5.4 | 3.4 | 0 | 100.0 |
茨城県 | 51.7 | 34.1 | 8.4 | 5.4 | 0.4 | 100.0 |
全 国 | 70.0 | 23.0 | 4.2 | 2.0 | 0.8 | 100.0 |
農林省「1950年世界農林業センサス」により作成 |