人口と職業構成

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農地改革によって農村の様相は一変した。地主とともに、小作農もほとんど姿を消し、大半の農民が自作農といわれる自立経営者になった。しかし食糧危機が叫ばれた敗戦直後から昭和三〇年頃までは、米麦中心の農業のあり方や、家族経営による小規模農業という形態は基本的には変らなかった。
 ところで、戦後水海道地方における産業、経済の変化を見る前に、大づかみながら現市域における戦後人口の変化を概観しておこう。
 敗戦による復員や引き揚げ、戦時下の人口政策や疎開等で、昭和二〇年に一度に膨張した農村人口は、その後次第に、そして昭和三〇年代になると急速に流出を始め、三〇年代から四〇年代始めにかけて、地方は「過疎」と呼ばれる状況に立ち至った。水海道地方においても例外ではなく、昭和二五年頃を境として三五年頃までのほぼ一〇年間は、空気が抜けるように人口が減少し、農村はさびれていった。これらの流出人口が、東京など京浜工業地帯の労働力群となったことはいうまでもない。
 
第67表 水海道市域の人口推移
年次人 口対前年増減
昭和532,352
  1532,739+387
  2041,921+9,182
  2541,297-624
  3039,971-1,326
  3537,577-2,394
  4036,584-993
  4536,679+95
『茨城県史=市町村編Ⅱ』


 
 次に、昭和二五年当時の市域内は、どのような職業構成になっていたであろうか、「国勢調査」に基いて検討してみよう(第六八表)。世帯主の職業だけでは兼業の数字は不確実になるが、大体の傾向を見ることが出来よう。これによると、世帯主が農業を営むもの(農家)が、労働力世帯の七〇パーセントを超すような農業中心の村としては、大花羽、菅原、五箇、大生、それに北相馬三村があり、これら七村においては他に有力な産業はなく、わずかに五箇村における建設、製造、卸売及び小売業が目につく程度である。反対に農業が一〇パーセント程度で、第二次、第三次産業が八八パーセント近くを占めた水海道町を除くと、これに隣接して卸売及び小売(商業)、製造業等の多い豊岡村(第二次、三次産業で三七パーセント余り)、また常総鉄道の三妻、中妻両駅を村内にかかえ、商業、製造業等の多かった三妻村(同じく三九パーセント余り)の、二村が、純農村の姿とはやや異なった職業構成を示していた。ちなみに第二次、第三次産業の一町二か村への集中度をみると第七〇表のとおりである。
 
第68表 世帯主の労働力状態(単位:世帯)
 大花羽村菅原村豊岡村五箇村三妻村大生村水海道町菅生村坂手村内守谷村合 計
総数3806477825287275522,2897193803227,326
労働力3646367465136745222,0356873663036,846
 就業者3646337455106665161,9976853653016,782
  1 農業2845464673734034122085313012253,750
  2 林業及び狩猟業
    (伐木業を含む)
00000110002
  3 漁業及び水産養殖業000000660012
  4 鉱業00000050005
  5 建設業1282323461585151010247
  6 製造業151164375918388311314650
  7 卸売業及び小売業153069277324690312018997
  8 金融,保険及び
    不動産業
3264103221152
  9 運輸,通信及び
    その他の公益事業
10449123519193548339
  10 サービス業11194516331630533811497
  11 公務1412211616108230814223
  12 分類不能の産業01120121009
 完全失業者0313863821264
非労働力161136155330254321419480
労働力状態不詳00000000000
昭和25年「国勢調査報告」によって作成


第69表 同産業別就業割合(町村別)(単位:%)
 大花羽村菅原村豊岡村五箇村三妻村大生村水海道町菅生村坂手村内守谷村合 計
就業者全100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 
  1 農業78.086.362.773.160.579.810.477.582.574.755.3
  2 林業,狩猟業0.20.00.0
  3 漁業,水産業0.30.90.2
  4 鉱業0.20.1
  5 建設業3.31.33.14.56.92.94.32.22.73.33.6
  6 製造業4.11.78.67.38.93.519.44.53.54.69.6
  7 卸売業,小売業4.14.79.35.311.04.734.64.55.56.014.7
  8 金融,保険,
    不動産業
0.80.30.80.80.11.60.30.30.30.8
  9 運輸通信,
    不動産業公益事業
2.80.66.62.45.33.79.70.71.12.75.0
  10 サービス業3.03.06.03.14.93.115.34.82.23.77.3
  11 公務3.91.92.83.12.41.94.14.42.24.73.3
  12 分類不能0.20.10.40.20.10.20.1
同前資料による。


第70表 第2次・第3次産業の集中度
職業水海道町豊岡村三妻村合 計
534.49.318.662.3
659.79.89.178.6
769.26.97.383.4
861.511.51.975.0
956.914.510.381.7
1061.49.16.677.1
1136.99.47.253.4
註) 職業番号は第68表による。


 
 こうした一町二か村をさらに詳しく見ると、水海道町には公務員、及び失業者世帯がかなりあり、また水海道、豊岡、三妻ともに非労働力世帯が他村より多かったことが特徴的であった。
 さて数年後の町村合併、市制施行完了時点の市内の職業構成を「市のすがた」によって見てみると、全世帯数七二八三戸のうち、農家戸数四三一八戸、事業所数一四四一、同従業者数四〇七八人となっている。これを昭和二六年時点と比較すると農家数においてはやや増加し(新たに合併した川又町及び東町を含んではいるが)、事業所数従業員数等においては減少している(第七一表)。商業においては逆にわずかながら増加したが、運輸・通信・公益事業等においては規模の大型化による従業員数の増加を伴っていた。しかしその他の諸事業はいずれも減少を見ている。地方における第二次産業がこの時期著しく後退し、人口の減少も農家より早くこのあたりから始まったことを予測させる。
 
第71表 事業所数の推移
 昭和26年昭和30年
事業所従業員事業所従業員
建 設 業13528977132
製 造 業200891103353
卸売及び小売業80716738311705
金融及び保険業2526914190
不動産業11
運輸・通信・公益事業82744571002
サービス業4581202357693
鉱   業22412
1712526614414078
昭和26年『茨城県統計書』「水海道市のすがた」(昭和31年水海道市広報)により作成。