第十八項 改良意見
自治ハ個人ニ必要ナルノミナラズ、一村一国ニ至ル主要トナス所ナリ。我国自治ノ制度ヲ建テ府県町村ノ自立ヲ計ル。復一国自立ノ基トナス所以ナリ。而シテ我ガ菅生村ノ自立ヲ計ランニハ何ヲ以テ我村ノ基トナスベキカ吾人ハ如何ナル職業ニ依テ身ヲ建テ家ヲ興シ一村ヲ維持スベキ、而シテ我村ノ地理風土ト過去ノ歴史ハ我村民ノ立ツベキ職業ヲ全村挙ゲテ農トナスベキヲ疑ハズ。地理ノ上ヨリ之ヲ見ルモ関東平野ノ一部ニシテ利根川ニ沿ヘ(イ)又里余ニシテ鬼怒川ニ達ス。村内ハ耕地不耕地相半バシ農ノ適地ニシテ、商工ヲ営ムノ不利ナルハ明ラカナリ。殊ニ利根川ノ改修完成スルノ日ハ、今日ノ耕地ハ倍加スベシト言フニ於テヲヤ風土ヨリスルモ気候温暖ニシテ土地又肥瘠ナラズ。米麦作ニ適シ又茶、烟草、桑等モ繁茂ス。村民ノ今日アルモ皆之レ農ニ依リテナリ。宜シク其業ニ依リ身ヲ立テ家ヲ興サザルベカラズ。農ハ我村民ノ依テ以テ自立スベキ本業ナリ。故ニ農業ノ盛衰ハ村民ノ栄枯ニ関シ斯業ノ消長ハ一村ノ興廃ニ係ル。我村是ハ当ニ農ニ因テ以テ自営スベキヲ疑ハズ。亦千古不易ノ帰旨ナリトス。将来ノ方針ハ皆此ノ方針ニ依ラザルベカラズ。村ノ業体ハ農ニ依ラザルベカラズ。農ヲ以テ業トシ村ノ経済ヲ支持センニハ我村ノ経済状態ハ果シテ自立スベキニ足ルヤ正ニ収支富力ノ如何ヲ調査セザルベカラズ今調査シ得タル材料ニ依リ之ヲ見レバ我村ノ収入総額ハ十二万二千八百九十四円ナリ。之ニ対スル支出総額ハ十二万五千八百三十二円ニシテ収支差引金二千九百三十九円(ママ)ノ不足ヲ見ル。之レ明治四十二年ニ於テ我村三ケ年ノ平均ニ依リ考査シタル事実ニシテ大ニ信ズルニ足ルモノナリトス。此ノ如ク我村ノ経済収支ハ年々欠損ノ状態ニアリ而シ世運ノ進展ハ日一日モ止マズ我村五十年後ノ村財政ハ実ニ二万二千六百三円ニ達スベキ予定ニアリ。而シテ生活ノ向上モ亦大ニ考慮セザルベカラズ。尚本村ノ土地ニシテ他村民ノ所有ニ属スルモノ百十三町六反ノ多キニ達シ正ニ之レ全村ノ一割強ニ当ル。斯ノ如キ形勢ニアリテ我村ノ経済収支ハ誠ニ危険ナリト言ハザルベカラズ。而シテ能ク平順ヲ保チツヽアルハ不可解トスル所ニシテ何等他ニ収入アリテ然ルナリ。或ハ出稼者ノ賜ニアラザルナキカ。将来ノ我村ヲ維持スルニ甚ダ憂慮スベキ者アリトセバ宜シク之ガ救済策ヲ講ジ以テ我村ノ自治ノ基ヲ鞏固ナラシメザルベカラズ。
今ヤ世ノ風潮ハ徒ラニ外形ニ馳セ皮想ニ流レ、黄金ヲ貴ビ人間ノ気骨ハ捨テヽ顧ミザルニ当テヤ端ナクモ淳朴ナル農村民ヲ誘惑シテ真摯質実ノ特性ヲ転ジテ軽佻浮華ニ走ラシムルノ傾向アリ。都会ハ黄金ノ充満セル浄土ナリ。労セザルモ美衣ヲ纒ヘ(イ)美食ニ飽クヲ得ベシト是ニ於テカ農民ノ都会ニ出デントスルノ念勃然トシテ起リ、鋤鍬ヲ手ニスルヲ欲セズ。瓢々乎トシテ鳥歌ヘ(イ)花笑フノ健康地ヲ去リ、黄塵萬丈喧囂雑閙ノ巷ニ移ルナリ。而シテ多クハ非常ノ逆境ニ陥リ偶々其所持セル血ノ如キ資金ハ忽チニシテ失ヘ(イ) 浮浪ナスナキノ人トナル。多クハ皆然リ、偶々他郷ニ出デテ成功セルモノナキニ非ズ之レ何レモ相当ノ識力ト抱負ト成算アリ。苦心惨憺漸クニシテ曙光ヲ認メ得タルモノナルヲ知ラザルベカラズ。若シ夫レ相当ノ識力ト成算アルモノナランニハ都会可ナリ、北海道、樺太可ナリ、朝鮮、南満尚可ナリ。然レ共尚単ニ好奇心、虚栄心、投機心、ニ駆ラレ村ヲ出ヅルニ至テハ是レ全ク農民ノ志想堅固ナラズ。亦淳朴篤実ノ気風ヲ漸次消磨シ行クモノト認メザルベカラズ。顧ミルニ今日ノ農民ハ忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治ムルヲ得バ農村ノ基礎ハ鞏固トナリ、淫靡荒怠賭博ニ耽リ酒色ニ溺ルヽノ悪風ハ村ヨリ放逐セラレ一村一家ノ福祉繁昌ハ求メズシテ期スルヲ得ベキナリ。村是トシテ将来ノ方針ヲ確立シ要綱ヲ示スニ消極的方針、積極的方針トノ二ツニ分チ左ニ叙セン
消極的方針
一 風紀ノ矯正
二 勤倹貯蓄
三 農業教育ノ普及
四 愛村心ノ鼓吹
五 生産ノ設備 里道橋梁ノ完備
六 農産物病虫害駆除予防
七 部落財産ノ統一
積極的方針
甲 農業
一 開墾奨励ノ件
二 牛馬耕奨励ノ件
三 耕地整理奨励ノ件
四 肥料ノ改良
五 信用販売購買組合ノ設立
六 堆積肥料舎ノ建設奨励
七 菅生村農家行事制定
八 副業ノ奨励
九 村農会ノ基礎ヲ確立スル事
一〇 農事改良実行組合ノ設立
一一 農産品陳列場ノ設立
乙 各種農作物
一 米改良ニ関スル件
二 麦改良ニ関スル件
三 陸稲栽培ノ奨励
四 烟草作奨励
五 茶改良奨励
六 園芸ニ関スル件
七 甘藷ノ改良
八 農業ノ視察
丙 蚕業
一 桑園ノ改良
二 蚕業共同組合ノ設立
丁 畜産業
一 養豚ノ奨励
二 家禽改良
戊 雑事
一 菅生沼利用調査
二 古(小)谷沼新田ノ調査
結論
消極的方針
第一 風紀ノ矯正
戊申詔書ヲ下シ賜ハルヤ多クハ其意義ヲ誤解シ、消極的ニ傾ケル気風ヲシテ一層沈銷セシメ極端ナル節約主義ニ陥ルノ弊アリ。元ヨリ勤倹ノ重ズベクシテ貯蓄ノ貴ブベキヲ知ル。否我村民ニ是等ノ思想欠乏シ、目前ノ事ニ走リテ将来ヲ慮ルノ念薄キヲ憂フルモノナリト雖モ勤倹ノ意味ヲ誤解シ徒ラニ消極的ニ走ルノ亦以テ弊害アルヲ知ル。勤倹ノ本義ハ体養ヲ害シ葬婚祭礼ヲ略シ、公共事業ヲ傷ツケ生産ヲ中止スルノ意味ニ非ズ。一方ニ無用ノ費ヲ節シ其得タル資ヲ以テ之ヲ活動ノ資本トナシ、大ニ生産ヲ起シ公共ノ事業ヲ計ルニアリ。此クテ始メテ本義ヲ全フスルモノト言フベシ。御詔勅ハ此意味ニ外ナラズ。今謹ンデ御勅旨ヲ拝スルニ、
顧ミルニ日進ノ大勢ニ伴ヒ文明ノ恵沢ヲ共ニセントスル固ヨリ内国運ノ発展ニ俟ツ、戦後日尚浅ク庶政益々更張ヲ要ス、宜シク上下心一ニシテ忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ惟レ信、惟レ義、醇厚俗ヲ為シ華ヲ去リ、実ニ就キ荒怠相誡メ自彊息マザルベシ
トアリ即チ御勅旨ハ単ニ勤倹ヲ主トセヨトノミナラズ、国民タルモノハ益々信義ヲ貴ビ、醇厚ニシテ着実ナル風習ヲ為シ華美ニ流レズ、荒怠ニ陥ラズ大ニ生産事業ニ精励勤勉シテ其隆興発展ヲ期スベシトノ御心ナリ。
是レ実ニ戦後世界列強ノ間ニ伍スベキ我ガ国民ガ平素ニ於テ服膺スベキ大訓ナリ。然ルニ世ニハ御勅旨ヲ誤解シテ、単ニ勤倹ノミヲ奨励スルノ御勅旨ト為シ勤倹詔勅ト称シ奉リ消極一方ニ走リ意気沮喪シ事業ノ活動ヲ怠ルガ如キ傾向アルハ誤レルノ甚シキモノナリ。此際徒ラニ消極ニ失セズ大ニ活動ヲ事業ノ上ニ演ジ、国産ノ発展振興ヲ計リ以テ一村ノ福祉ヲ増進シ国家ノ隆昌ヲ致サン事ヲ望ム。
抑モ風紀ノ矯正ノ如キ至難ノ業ニシテ一朝一夕ニ能ク成功スベキ者ニ非ズ。自然ニ村民ノ気風ヲ作リ感化的成功ヲ期シ永ク美風良全ヲ保全セント欲ス。玆ニ風紀委員ナルモノヲ設ケ委員自ラ善行ヲ励ミ美風ヲ作リ、而シテ他ヲ指導スルノ法ヲ取リ村民ノ亀鑑タラントス。風紀委員規程左ノ如シ、
菅生村風紀委員規程
一、村内ノ弊風ヲ矯メ美俗ヲ保全スル為メ風紀委員ヲ置ク。
二、風紀委員ハ実践行徳ヲ以テ身ヲ修メ村民ノ亀鑑タルモノトス。
三、風紀委員ハ村会ニ諮リ村長之ヲ撰定ス。
四、風紀委員ハ左ノ門札ヲ揚ゲテ公示スルモノトス。
風紀委員 氏名 縦七寸巾二寸
五、風紀委員ノ数ハ之ヲ制限セザルモノトス。
六、風紀委員ニシテ二項ノ主義ニ悖ルモノアル時ハ委員ヲ解除スルモノトス。
第二 勤倹貯蓄
戦後ニ於ケル国民ノ覚悟、並ニ将来ニ於ケル国運発展ニ関シテハ、深ノ大御心ヲ注ガセラレ畏クモ戊申詔書ノ喚発セラレタルアリ。一般国民眷々服膺シテ之ガ実行ヲ期セントス。勤倹貯蓄ヲ奨励シテ堅実ナル民風ヲ興シ進ンデ産業ノ発展ニ資スルハ是レ詔書ヲ奉体シテ施設スベキ現時ノ要務ナリ。勤倹貯蓄ニ関シテ消極ノ意義ニ止マルト為ス者無キニ非ズト雖ドモ固ヨリ消極節約ノ一方ニ偏スルノ意ニ非ズ。是ヲ希フ所活力アリ生気アル勤勉力行ヲ望ムニアリ、苟クモ更ニ勤労ノ余地アルモノニ関シテ之ヲ励マシ之ヲ導キテ産業ノ改良ト遺利ノ開発ニ努メ、更ニ勤労ト貯蓄トヲ併セテ奨励スル所以ナリ。
日ニ積ミ月ニ蓄フル多カラズトスルモ久シキニ渉リテ怠ラザレバ意外ノ巨資ヲ成スコトヲ得ベシ。之ヲ個人ニ見ルモ其利益ヤ此ノ如キモノアリ。若シ一村挙ゲテ勤倹ノ風ヲ興シ更ニ共同貯蓄ノ方法ヲ講ジテ相励ミ、相競ヘ(イ)努力シテ其事ニ従ハバ延ビテ協同団結ノ美風ヲ養成スルヲ得ベク効果ヤ測ルベカラズ。此ノ如キ精神ガ小ヨリシテ大ニ及ビ一家ヨリシテ一村ニ及ビ其公益ヲ啓キ国力ヲ進ムルノ効ヤ大ナルアルヲ疑ハズ。殊ニ政府ハ毎年自然ニ基ク郵便貯金ノ増加額ノ四分ノ一奨励ニ依ル増加額ノ二分ノ一ヲ下ラザル範囲ニ於テ資金貸付ノ途ヲ開キ事業資金ヲ供シヽツアリ、貯蓄ノ奨励ニ勤メザルベカラズ。本村ニ於ケル新ニ設立セントスル貯金組合規約ノ概要左ノ如シ。
菅生村共同貯金組合規約
第一条 本組合存立ノ時期ヲ二十ケ年トス。本組合員ハ力行勤倹ニヨリ得タル余財ヲ蓄積スルノ義務アルモ
ノトス。
第二条 組合員ハ第一条ノ目的ヲ達スルタメ左ノ諸項ヲ実行ス。
一 生産業ノ改良ヲ謀リ、増収ニ勉ムルコト。
二 副業ヲ励ミ主業ノ余暇又ハ夜間之ニ従事スルコト。
三 衣服、居宅、食物、家具ハ可成簡素ヲ旨トスルコト。
四 時間ヲ空費セズ公私ノ集合ニハ指定ノ時間ヲ誤ラザルコト。
五 生産ヲ現金ニ代ヘタル時ハ直ニ一定ノ金額ヲ控除シ貯蓄スルコト。
第三条 本規約ニ依ル貯蓄ハ定期、臨時ノ二種トシ、定期ハ其額ヲ定メテ毎月預入シ、臨時ハ臨時収入ノア
リタル時預入スルモノトス。
貯蓄ノ金額ハ一回ニ付金五銭、十銭、二十銭、三十銭、五十銭トス。
第四条 此貯蓄ニ付スル利率ハ郵便貯金ニ依ル。
第五条 本組合ニ理事五名ヲ置キ互撰ヲ以テ組長ヲ定ム。
貯金集取ノタメ便宜ノ場所ニ世話役ヲ置ク。
第六条 理事ハ本組合ニ関スル庶務ニ従事ス。任期ヲ二ケ年トス。
第七条 世話役ハ任期ヲ一ケ年トシ組長ヨリ嘱託スルモノトス。
組合員ハ其嘱託ヲ拒ムコトヲ得ザルモノトス。
第八条 定期貯金ハ毎月二十日迄ニ世話役ニ差出スベシ。
第九条 本規約ノ主旨ヲ確守シ五ケ年間継続シタル者ニハ総会ニ於テ賞品ヲ贈呈ス。
第十条 本規約ニ依リ為シタル貯蓄ハ組合ヲ脱退シタル場合ノ外左ノ事理アルニ非ザレバ払戻シヲ為スコト
ヲ得ズ。
一 天災地変ニ遭遇シタル時
二 其他理事会ニ於テ止ムヲ得ズト認メタル時
第十一条 本規約ハ明治四十五年四月ヨリ実施シ本組合存立期間継続スルモノトス。
第三 農業教育ノ普及
産業振興スベシ、農業改良スベシトハ年来唱導セラルル所ニシテ、有志家ハ熱誠以テ其興起ニ勉メ官亦奨励指導頗ル至ルト雖ドモ其進歩ハ遅々トシテ不振ノ状態ニアルハ、要スルニ農業教育ノ普及セザルニ依ル。若シ夫レ今日ノ状態其侭ニ経過センカ百年農事ノ改良振興ヲ待ツモ得ベカラズ。然ラバ農業教育ハ如何ニシテ普及セシムベキ之レ目下ノ急務ナリ。宜シク父兄ハ常ニ家業ノ大切ナルコト農業ノ国家経営ニ重ナル関係アルコトヲ説示シ而シテ子弟ノ読書習字ヲ検スルト同時ニ農科ニ注意シ多少其注意ヲ惹起シ置クノ要アリ。本村ハ尋常科五六年及高等科ヲ附設シ、以テ必修科トシ教員ハ国家的観念ヲ持シ其国家ト農業、農業ト農家子弟教育ノ関係ニ就キテ深ク考察ヲ下シ、将来生徒ヲシテ帝国農家ノ本領ヲ保チ、国家ノ基礎タル良農民タラシメン精神ヲ以テ之ヲ教授養成セザルベカラズ。此精神ヲ以テ農理ニ農芸ニ将(又)タ農家ガ国家ニ尽スベキ責務及農界偉人ノ事蹟ヲ親切ニ解説訓諭セバ是レ唯ニ教育ノミナラズ徳育ノ上ニモ大ナル薫陶感化ノ効ヲ奏スルナラン其教授法ノ一端トシテ五畝歩内外ノ農園ヲ学校附近ノ地ニ設ケ、穀菜草花等種々播種セシメ毎週二回生徒ヲシテ巡覧セシメ生徒ノ心目ヲ娯マシメ、植物農事ノ大体ヲ簡易ニ口授シ生徒ヲシテ草木ノ愛スベク耕種ノ楽ムベキヲ徐々ニ感得セシメ、而シテ草花ハ時々採取シテ生花等トシ教場ニ之ヲ装置シ、穀菜果実ハ収メテ教員生徒ノ食膳ニ供スルコトトナサバ(三大祝日等ノ場合)生徒ガ農業ニ対スル観念、耕種ヲ嗜好スルノ心情自然ニ発シ来テ其素養ハ将来其志想ノ原動力トナリテ其主業ニ少ナカラザル効益ヲ為サンコト信ジテ疑ハザル所ナリ。卒業生ニ対シテハ農事改良上ニ関スル図書等閲覧ノ便ヲ謀リ、図書閲覧所ヲ校地内ニ設ケルベク斯クシテ農業教育ノ普及ヲ謀リ且ツ時勢ニ遅レザラン様有識ノ士ニ希望スルモノナリ。
第四 愛村心ノ鼓吹
今ヤ国内ハ勿論諸外国ニ於テモ、美シキ農村ヲ作ランコトニ全力ヲ傾注シ此趨勢ハ現代ニ於ケル世界的大勢ト認ムルヲ得ベシ。現ニ個人競争ヨリ転ジテ団体的競争ニ移リ、一、二ノ偉人英傑ヲ出サンヨリ美シキ農村ヲ有スルヲ以テ国家ノ誇トスルニ至レリ。而シテ此大勢ニ後レズ自治ノ経営ニ尽力スルハ現代ニ処スル責任ニシテ亦後世子孫ニ遺スベキ最善ノ事業タリ。本村ノ如キ自治制施行以来殆ント二十余年、常ニ円満ヲ欠キ居タルハ誠ニ遺憾トスル所ニシテ要スルニ愛国的観念ヲ以テ村ニ対セザルニ依ル、将来ニ於テ美村タラシメンニハ愛村心ノ鼓吹ニ勤メザルベカラズ。一村和合セザレバ円満ナル家庭ヲ得ズ一家ノ不幸此上ナシ。同ジク一村一致結合セザレバ一村ノ不幸タリ。苟モ自治ノ経営ニ任ズルノ士ハ常ニ愛村心ノ養成ニ勤メ公共ノ精神共同ノ精神ヲ以テ一村ノ発展ニ努力スベキナリ。自治的観念ヨリ一村ニ風波ヲ起シ、若クハ起サント企画スルモノアル時ハ村民タル者挙ゲテ社会的制裁ヲ加ヘ愛村ノ主意ニ依リ自治ノ完備ヲ期シ美村タラシムルニ留意スベキナリ。
第五 生産ノ設備
道路橋梁ノ完不全ハ一村ノ殖産興業ニ影響スル所甚大ナリ。本村従来ノ此等ニ対スル施設ハ不完全タルヲ免レズ、将来里道ノ取締ヲ規定シ交通ニ便シ以テ殖産ニ益スル所ナカルベカラズ里道取締リノ方法概略左ノ如シ、
菅生村里道橋梁取締規約
第一条 本村ハ交通ヲ便センタメ本規程ヲ設ク。本規程ニ依リ里道ト称スルハ総テ幅員六尺以上ノ道路ヲ言フ
第二条 里道ヲ分チテ左ノ三種トス。
一等里道、幅九尺以上ニシテ他市町村ニ通ジ県道ニ次グノ要路タルモノ
二等里道、幅九尺以上ニシテ枢要ノ道路タルモノ
三等里道、幅六尺以上ニシテ一、二等ニ該当セザルモノ
第三条 一等里道ハ村会ノ決議ニ依リ之ヲ定ム。
第四条 一等里道ノ修繕ハ県税補助ニ依リ村費支弁ト村内ノ人夫ニ依リ之ヲ行フ。
第五条 二等里道ハ各坪ニ諮リ村会ニ於テ定メ其修理ハ各坪従来ノ慣例ニ依リ之ヲ行フ。
第六条 二等里道ノ修理ニシテ材料価格五円以上ニ上ル時ハ村会ノ決議ニ依リ五分ヲ補助スルコトヲ得。
第七条 三等里道ハ其附近住民ニテ修理スルモノトス。
第八条 一、二等道路常時監督区域ヲ定メ常設委員ヲシテ行ハシム。
第九条 橋梁ハ総テ此道路ニ準ジ修理スルモノトス。
第十条 本規定ハ明治四十五年四月ヨリ之ヲ実施ス。
第六 農作物病虫害駆除予防
農作物病虫害駆除予防ハ法律アリ省令アリ訓令アリ、形式ニ於テ完備セリト雖ドモ未ダ一般ニ確実ニ施行スルヲ得ザルハ誠ニ遺憾ニシテ其損失ノ甚大ナル驚クベキナリ。本村ハ之ガ駆除予防ヲシテ完全ニ行ハンガ為メ左ノ規定ヲ設ケ励行スベシ
菅生村農作物病虫害駆除予防規定
第一条 病害虫駆除予防ノタメ委員三十一名ヲ置ク。
内三名ハ役場吏員ヲ以テ之ニ充ツ。
第二条 委員ハ村長之ヲ命ズ。
第三条 村長ハ委員ヲ監督ス。
第四条 委員ノ受持区域ハ村長之ヲ定ム。
第五条 委員ハ村長ノ指揮ニ従ヘ(イ)駆除予防ノ事務ニ従事ス。
第六条 委員ハ受持区域内ニ於ケル駆除ノ状況ヲ時々村長ニ報告スベシ。
第七 部落有財産ノ統一ニ関スル件
本村ニハ部落有土地原野九十五町歩ヲ有シ、各部落利害ヲ異ニシ統一困難ナリト雖ドモ之ヲ統一シテ収益ヲ挙グルハ刻下ノ急務ナリトス。宜シク相当ノ条例ヲ規定シ各利害ヲ均一ニスル方法ヲ講ジ統一シテ必ズ村有財産トシ収益ヲ確実ニシ以テ本村ノ基礎ヲ益々鞏固ナラシメントス。
第八 学区廃止ノ件
本村学校ハ明治三十二年以来二校ニ分離シ、学区ヲ以テ教育費ヲ支弁シツヽアリト雖ドモ将来ヲ推考スルニ校舎器具ノ完備ハ学区ヲ以テシテ決シテ期スベカラズ。宜シク学区ヲ廃シ空費ヲ節シ以テ校舎器具ノ改善費ニ供スベシ。有識ノ士相当ナル合併ノ方法ヲ講ジ一村将来ノ福祉ヲ増進セシムベク以テ本村ノ平和ヲ永遠ニ保全スル事ヲ得ベシ。
積極的方針
甲 農業
一、開墾奨励 二、馬耕奨励
馬耕ハ従来奨励セルモ多ク其技術ノ熟セザルニ早クモ既ニ之ヲ廃スルモノアリ。又田畑区別ノ狭小ナルタメ普及遅々タリト雖ドモ本村ノ如キ畑地夥多ナル土地ニアリテ労力ヲ節約シ以テ他ノ事業ニ補足スルハ労力経済上緊要ナリトス。依テ毎年一回技術員ヲ聘シ之ガ伝習指導ニ当ラシメントス。
三、耕地整理ノ奨励
本村ノ耕地ハ区画狭小ニシテ圃面平坦ナラズ。耕地各部ノ自然ニ任ジ耕作上ノ不便不利甚ダシ。故ニ耕地ヲ整理シ土地利用ノ増進スルハ刻下ノ急務ナリ。故ニ整理施行ノ適地ハ直ニ着手シ実行ヲ期ス。
四、肥料ノ改良
本村ノ購買スル金肥ハ約一万円ニ上リ尚益々増加ノ傾向ニアリ。而シテ従来唯一ノ肥料採取場タル広大ナル原野ハ閑却セラルヽノ状態ニアルハ誠ニ遺憾ナリ。故ニ金肥ノ購入ヲ節約シ自家製造ノ肥料ヲ以テ代用スルノ方法ヲ講ジ、生草、藻草ヲ原料トシテ堆肥ノ製造ヲ奨励シ各戸ノ経済ヲ安固ニセントス。
五、信用販売購買組合ノ設立
農業資金ノ充実販売購買方法ノ完備ハ農村タル本村ノ最モ必要ナル事ニシテ信用販売購買組合ヲ設立シ、以テ経済ヲ潤沢ニシ村固有ノ美徳タル隣祐互助ノ誼ヲ益々厚カラシメ共同一致ノ良風ヲ養成シ農村ノ改良ヲ図ラントス。
六、堆積肥料舎建設ノ奨励
堆肥ノ製造ハ金肥ノ輸入ヲ防ギ農業ノ経済上極メテ有利ノ事ナリト雖ドモ本村農家四百九十戸ニ対シ(約五字欠字)ヲ有スルニ過ギズシテ完全ナル堆肥舎ハ僅ニ二棟アルノミ。其製造方法進歩セズ故ニ堆肥舎ノ建設ヲ奨励シ尚村内ヲ十四区ニ分チ指導員ヲ置キ専ラ堆肥ノ製造ヲ指導セシメントス。
七、農家行事ノ制定
一年ノ農家行事ヲ予定シ作業ニ従事シ以テ農家ノ労力ヲ適当ニ分配スルニ非ラザレバ、作業一時ニ錯綜シ不利少カラズ。且ツ休日ノ如キモ一定シ本村ノ適合セル行事ヲ制定シ各戸之ニ遵ヘ(イ)其労力分配ヲ調和セシメ、以テ労力ノ過不及ナカラシメントス。
八、副業ノ奨励
本村ハ副業トシテ棕櫚縄製造ヲ行ヘ(イ)経済ヲ潤沢ナラシムルニ大ニ功アルハ各人ノ認識スル処ニシテ今ヤ棕櫚ノ原料ニ不足ヲ来シ原料ハ総テ輸入シツヽアリ、而シテ此製縄ハ老幼ニ適シ余暇ヲ利用スルニ適当ナル作業ナリ。故ニ益々製縄ヲ奨励センガタメ将来樹苗ノ育成ヲ為シ、以テ樹苗ノ交付ヲ行ヒ(イ)棕櫚ノ殖栽ヲ奨励シ此ノ原料ノ輸入ヲ少ナカラシメ、進ンデ共同販売ヲナサシムル等本業ノ発達助長ニ勉メントス。
九、村農会ノ基礎ヲ確立スル事
本村農会ハ明治三十年ノ創立ニ係リ其形式ハ備ハレリト雖ドモ未ダ農会ノ施設トシテ見ルベキ者ナシ。近時立毛品評会ヲ開設シ稍々其緒ニ就キタリ。農会ノ事業振ハザルハ独立自営ノ資力ナク基礎ノ確立セザルニ依ル、今ヤ農会事業モ稍々村民ノ認識セルヲ期トシ適当ノ期間内相当ノ補助ヲ交付シ剰余金ヲ蓄積セシメ漸次独立自営大ニ農会刷新ニ資セシメントス。
十、農事改良実行組合ノ設立
農事ノ改良ハ農会アリト雖ドモ普遍的ニ実行セシムルニハ一村ニアリテモ尚数年ヲ要ス。故ニ村内ヲ数十区ニ区画シ二十戸以下ヲ以テ農事改良実行組合ヲ設ケ、理事二名ヲ置キ組合内ノ農事改良ヲ奨励指導セシメ、農会ト協力シテ改良事業ヲ急速ニ普及セシメントス。
十一、農産品陳列場ノ設置
本村ノ農産品ハ小麦、茶、烟草、繭等主ナルモノニシテ其精良ナルモノヲ一堂ニ陳列シ斯業ノ参考ニ供シ且ツ又旅人ヲシテ閲覧セシムルハ改良上ニ益スルノミナラズ、本村ノ産物ヲ紹介シ間接ニ利スルコト疑ナシ。故ニ学校ノ一部若クハ神社ノ一隅ニ之ヲ設置シ広ク衆人ノ閲覧ニ供セントス。元ヨリ其規模ノ大ヲ望ムニ非ズ配列能ク陳列スルヲ得バ可ナリトス。
乙 各種農作物
一、米改良ニ関スル件
本村ノ産業ハ現況ノ示ス所其収量一反歩当リ僅ニ一石四斗七升ニシテ其種類亦雑駁ヲ極メ品質ノ劣悪ナル土質ノ然ラシムル所ナランモ尚一層排水ニ留意シ品種ヲ撰定センニハ必ズヤ優良ナル米ヲ得ルハ難キニ非ラズ。宜ク良種ヲ選定シ苗代播種期ヲ早メ収穫期ヲ早メ、収穫期ヲ適当ナラシメ耕種肥培ヲ改良シ乾燥調製ヲ完カラシメンニハ、一反歩平均収量ヲ二石以上ニ進ムルハ容易ノ事ナリトス。本村耕地百七町ニ対シ実ニ五百六十余石一石十四円替トスルモ七千九百三十八円ノ巨利ヲ得ベシ
二、陸稲栽培奨励
本村ノ水田ハ僅カニ百余町歩、産額千五百石ニシテ村内ノ費消ヲ充タスハ陸稲ニ依ラザルベカラズ。然ルニ作付反別七十八町反当リ収量僅カニ一石五升ニシテ総収量八百余石ニ過ギズ、為ニ年々他村ヨリ輸入スル米穀ハ多額ニ上リ村経済ニ及ブ影響甚ダ大ナリ。故ニ粟ノ作付ヲ減ジ陸稲ノ作付百町内外ニ増加シ自村ノ費消米ハ自村ニ於テ供給スルノ計ヲ立テ良種ヲ求メ品種ヲ改良シ、肥培ニ留意シ一反歩平均収量ヲ一石五斗以上ニ進メザルベカラズ。之決シテ難事ニ非ズ。然カセンニハ作付反別ニ於テ増加セザルモ優ニ三百五十石ノ増収ヲ得一石十三円トナスモ四千五百五十円ヲ利スルコトヲ得ルナリ。
三、麦改良ニ関スル件
小麦ハ実ニ本村農作物中主要ノ産物ニ属ス。現況ノ示ス処ニ依レバ其収量一反歩当リ一石一斗ニシテ、其種類モ区々ナリ。而シテ播種ノ季節ヲ適当ナラシメ成熟期ニ於テハ可成的適期一日モ後レザラン様、且ツ又肥培ヲ改良センニハ一反歩収量ヲ一石六斗以上ニ進ムルハ易々タラン。而シテ之ヨリ生ズル利益ハ莫大ニシテ作付反別百九十八町ニ対シ九百九十石、一石八円五十銭替トナストキハ実ニ四千五百十五円ヲ得ベシ。
大麦ハ本村ノ一反歩収量二石一斗五升ニ当ル、之レ数年前ニ比スレバ大ニ増加シタリト雖ドモ完シト言フベカラズ。宜シク播種ハ適期ヲ逸セズ、収穫期ニハ苅干ヲ為サズ肥培ヲ改メ一反歩平均収量ヲ二石八斗以上ニ進メザルベカラズ。本村ニ於ケル、郡農会ニ於ケル試作成績ニ依レバ実ニ四石以上ヲ示スコトアリ之ニ鑑ミ耕種センニハ二石八斗ヲ得ルハ容易ナラン。作付反別百二十町ニ対シ七百八十石ノ増収、一石四円五十銭替トナストキハ三千五百十円トナル。必ズ玆ニ進メザルベカラズ。
四、烟草作奨励
本村烟草作ノ現況ハ作付反別四十二、三町歩内外ニシテ一時ハ五十町以上ニ達シタリト雖ドモ労力分配ノ関係上四十二、三町歩ヲ適当ナリト認ムルヲ以テ今後ハ其品質ノ上進ニ勉メザルベカラズ。近時専売官署ノ奨励ト斯業者ノ熱心トニ依リ大ニ面目ヲ改メ、桐ケ作柳葉トシテ世ニ喧伝セラルヽニ至レリト雖ドモ尚一層其耕作ヲ改良シ品質ヲ良好ナラシメ、其声価ヲ発揚セシムルコト最モ必要ナリ。本村ハ烟草耕作組合ト協力シ適度ノ栽培ヲナサシメ品質ノ上進ニ極力努メントス。
五、茶ノ改良ニ関スル件
本村茶樹ノ肥培ハ誠ニ冷淡ニシテ、肥培ヲ行フモノナシト言ウヲ当レリトス 而シテ其産額ハ北相馬郡ニ冠タリ。一時粗製ヲ試ミ声価ヲ失墜セシガ近時茶業研究会ニ於テ年々製茶ノ伝習所ヲ設ケ多クノ伝習生ヲ養成シ其製法モ大ニ改マレリト雖ドモ製茶一貫目平均価格ハ一円八十銭内外ナリ。益々改良センニハ優ニ二円五十銭ニ上スコトヲ得ン。生葉ニテ搬出スル数量一万四千余貫ニ上ル故ニ之ヲ製茶トナシ販売センニハ其得ル処ノ利益少ナカラザル額ニ達スベシ。宜シク茶業組合及ビ斯業者ト協力シテ此重要物産ヲシテ益々多産良好ナラシムルニ努力スベシ。
六、園芸ニ関スル件
農村ニアリテ園芸ノ発達セザル本村ノ如キハ稀ナランカ。要スルニ主要作物ノ培肥ニノミ腐心シ農家必需品ヲ等閑ニ付スル傾向アルハ誠ニ遺憾ナリトス。宜シク漬菜、大根、人参、牛旁等良種ヲ購入シ栽培ヲ改良スベシ。且ツ本村ニ適セリト思料スル左種ノ果樹殖栽ヲナスベシ。
密柑、柿、桃、栗。
七、甘藷栽培改良
甘藷ノ栽培反別ハ約三十町ニ上ルト雖ドモ其種類劣悪ニシテ到底他ニ移出スルコトヲ得ズ。本村ノ如キ畑地夥多ナル土地ニアリテハ良種ヲ求メ栽培法ヲ改良シ以テ他市町ニ移出スルハ労力分配上好適ナル作物ナリトス。之ガ改良ヲ奨励セントス。
八、農業視察
伊勢神宮、大山登山、三社巡リ、善光寺詣等誠ニ佳ナリ。然レ共之ヲシテ農業視察ノ意味ヲ加ヘタランニハ一層趣味アル旅行タル事ヲ得ベシ。年々農閑ヲ期シテ各地ノ農業ヲ見聞スルハ誠ニ有益ナル事トス。依テ各青年会村農会等ヨリモ相当有識ノ士ヲ選抜シテ農業ノ視察ヲナサシメ以テ本村ノ農事改良ニ資セシムベシ。
丙 蚕業
一、桑園ノ改良
本村桑園ノ大部分ハ樹齢既ニ二十ケ年内外ニシテ桑樹ノ勢力大ニ衰ヘ且ツ桑葉悪変シ良繭ヲ得ル能ハズ。良繭ヲ得ンニハ良桑ヲ求メザルベカラズ。良桑ヲ得ンニハ桑園ヲ改良シ桑樹ヲ替植シ、耕鋤、肥培ニ勉メザルベカラズ。以テ漸次良好ナル桑葉ト善良ナル良繭ヲ得、斯業ノ利益ヲ増進スルコト期シテ待ツベキナリトス。
二、蚕業共同組合ノ設立
養蚕家ノ組合ヲ以テ必要ナル蚕紙器ヲ共同購入シ、教師ヲ聘シテ稚蚕ノ共同飼育ヲナスハ労力、経費ノ節約トナリ、斯業ノ利益偉大ナリトス。県、郡ニ於テモ同組合設立ノ場合ハ相当ノ補助ヲ与フルコトヽナレリ。コノ際之ヲ設立シ以テ相互ニ此組合ヲ利用シ利益ノ増進ヲ期スベシ。
丁 畜産業
一、養豚ノ奨励
世ノ進運ト共ニ肉食ヲナスモノ次第ニ其数ヲ加ヘ、肉価非常ニ騰貴シ肉類ノ供給不足益々甚ダシ。然ルニ養豚ハ其方法安全ニ其成長速カナルト、風土ヲ撰ムノ性少ナク食物ノ選択容易ニシテ繁殖早ク資本ヲ要スル少ナシ。食物ノ如キ其半ハ農家ノ廃棄物ニテ足ル且ツ糞尿ハ肥効大ナリ故ニ各農家ニテ一、二頭ヲ飼養シ飼料ヲ廉価ニ得ラルヽ限リ盛ナラシムベシ。其管理ハ児童ヲシテ行ハシムルモ亦一法ナリ。
二、家禽ノ改良
鶏ノ肉ト卵トハ人類ニ必要ナル食物ニシテ近来其需用次第ニ増加シ、従テ価格モ騰貴セルヲ以テ副業トシテ最モ適応ス。本村ノ飼養数ハ約二千羽 産卵数十万ナリ、其種類ハ種々ニシテ一羽ノ産卵数亦少ナシ。之ヲあんだるしやん、みのるか、れぐほん等ノ良種ト交換センニハ産卵数倍加スルハ容易ナリ。良種ヲ購入シ漸次村内ニ普及スル方法ヲ設ケ之ガ改良ニ勤ムベシ。
戊 雑事
一、菅生沼利用調査
菅生沼ハ周囲三里ニ渉リ面積数百町ニシテ其利益ハ魚類数百円、採藻十万貫ナリ。而シテ之ガ利用ニ就テハ、其方法多アルベキヲ以テ充分ニ調査ヲ加ヘ適切ナル利用方法ヲ講ジ永遠収利ノ計ヲ立ツルヲ要ス。
二、古(小)谷沼新田ニ関スル件
古(小)谷沼ハ本村所属ノ水田約三十三町歩ニシテ之ガ小作者モ百名以上ナラン。而シテ十数年前ヨリ年々水災ニ依リ収穫充分ナラズ小作者ハ非常ノ損失ヲ受ク、然レ共水田僅少ナル本村ノ如キニアリテハ耕作セザルベカラザル状況ナレバ単ニ地主ノ施設ノミニ委セズ、宜シク相当ノ調査ヲ逐ゲ地主ト協力シテ収穫ヲ全カラシムルハ本村ノ福利ヲ増進スル上ニ於テ最モ必要ナリトス。
結論
以上項ヲ分チ概説スル所ニ依リ、本村経済財政ノ状況及ビ之ガ回復スベキ方針ハ略々尽キタル者ト信ズ。而シテ年々不足額ハ出稼人ノ送金ニ依リ漸ク平順ヲ保チツヽアルハ誠ニ寒心スベキ者アリ、若シ災害頻ニ至ラバ数年ヲ出デズシテ一村滅亡ノ非運ニ際会セン。宜シク村是ヲ実践シ一村協力シテ以テ順潮ニ向ハシメザルベカラズ。
今ヤ社会ノ状勢ヲ見ルニ協同公益ト称シ、個人経済上ニ於テモ相共ニ協同シテ相共ニ利益ヲ図ルト言フ機運ニ到レルハ誠ニ悦ブベシ。併シ尚自治的組織其他諸種ノ組合ニ於テモ公益上ノ施設ニ対シ駄弁諾論ヲ弄シ破壊ヲ能事トシ、甲ガ右トスレバ乙ハ左トスル一種奇妙ナル風習アリ、徒ニ己ノ野心ヲノミ逞シフセン事ヲ努ムルモノアリ誠ニ本村ノタメ遺憾トスル所ナリ
社会組織ハ恰モ投網ノ如ク一本ノ大網(ママ)ニ依テ統ベラレ始メ目数僅少ニ下部ニ至ラバ目数増シ又裾広大ナリ。然レドモ其目ト目ハ整然相互ニ結ビ合ヒ終一網打尽トナル我ガ国ノ状態ニ於テハ皇室ハ其大網(ママ)ナリ。目ハ悉ク臣民ニシテ其下部ノ重量ト囊ニ依リ漁穫ス。即チ臣民各自ニ業ニ忠実ニシテ善良ナル美果ヲ収メツヽアリ。
国家組織既然リ而シテ一村其他公共団体ニ於テ統一セラレザルナキナリ。村民各自芯懸ヲ以テ事ニ処センニハ其勢駿々トシテ悔ルベカラザルモノアラン。覚醒セヨ村民各位村是ニ依リ既ニ村民ノ向上村運振興ノ骨子是ニ備ハレリ。而シテ成ス所アラン事ヲ期待スルモノナリ。
終ニ臨ミ本調査開始以来調査ニ努力セラレタル左記巡調員及ビ当局吏員ノ労ヲ謝ス。
巡調員 染谷石見、大滝由蔵、佐賀富吉、倉持浅吉、大滝縫一郎、倉持健治、平間菊治、倉持常吉、横島文治、中村林治、小林長一郎、糸賀君蔵
吏員 大滝央、佐賀富吉、小林藤太郎、平間忠次郎
〔明治四三「菅生村是」 水海道市役所蔵〕
※ 菅生村是は全部で一八項目からなり、第一項~四項(地勢)、五項~九項(土地・戸口・生産・消費)、一〇項~一二項(貯蓄・金融)、一三項(小作貫行)、一四項~一七項(風俗、村財政、教育等)、一八項(改良意見)という構成となつている。本編では頁数の関係から一八項のみを収載した。