3 豊田郡水海道小学校の景況

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 かつて本会雑誌に記せしことありしが、同校は明治十四年中の建築に係り、洋風の結構にてその壮大なるは本県下小学校舎の巨擘と言うも敢て過言にあらざる程なれども、学事の模様は校舎の壮大なるに伴わず校長又は首座教員の更迭八九回に及び、その他助手などの変換頻繁なりしを以て生徒は余程学業の進歩を妨げられしとのことなりしが、現任校長渡辺武助氏が昨年の初め同校に赴任し鋭意熱心授業法管理法の改良に尽力せし以来、生徒の学業大いに進歩し且つ品行をも大いに面目を改め前日の比にあらざるに至りしなり、又生徒の学級と年令と大いに平衡を失えるを以て同氏は務めてこれを矯正せんとせしにより卒業昇級などの試験はなはだ頻繁なりしが現今に至りてはやゝ平衡を得るに至れり、高等卒業試験の如きは昨年は二回に及び本年も既に一回は了りたりとのことなり、現今は教員の数最も少く訓導助手にて六名なれども授業は中々行届き客月の試験には初等科五十名の内一人の落第生なかりしよしなり。
 ○教の歌
 前号の誌上に去る七月初旬豊田郡水海道駅の水海道小学校生徒が同駅の報国寺内に於て大運動会を催せしことを記せしがその折、同校々長渡辺武助氏には左の歌一篇を綴り、生徒に歌はしめしとて同地より寄贈されしかばこゝに登載して読者の一覧に供す。
 (1) 来れや来れイザ来れ、諸共来れ学校に、学ぶ科目は多くとも、恐るゝ勿れ恐るゝな、飽くまで屈する
   こと勿れ、吾身の為なり国の為
 (2) 勉めよ勉め諸共に、三育はげみ勉むべし、ものゝ学びの覚悟こそ、御国を富す基なる、飽くまで屈す
   ること勿れ、吾身の為なり国の為
 (3) 勇めや勇め諸共に、今や生徒の大運動、啞鈴球竿これぞこれ
                       〔『茨城教育協会雑誌』三一号 明治一九年九月一二日〕