あとがき

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 昭和六十年の一月半ば茨城大学名誉教授の瀬谷義彦先生から、石下町史の編さんを引受けることになったから、その全権を委せるので是非とも協力して、「石下町史」を完成させて欲しいとの依頼があった。
 石下町では町史編さん室をつくり、資史料の収集・目録化の作業をすすめていることはわかっていたが、三年余の短期間に町史を完成することは難しいと、しばらく躊躇したのであるが、諸般の事情から編さん事業をお手伝いすることになった。そこで専門委員や執筆協力者の陣容を整えることとなった。石下といえば当町出身の所理喜夫氏(駒沢大学教授)がおられるので、所先生の参加をいただかなければならぬと、早速所先生に連絡し、所・佐久間の両名で大凡のスタッフと、町史の構成・内容等を協議した。最終的には瀬谷先生のご意見をえて、原始古代・中世・近世・近現代・民俗の部会と、それぞれの専門委員をお願いした。
 短期間に一冊本の町史を造るのはかなり大変であるので、「石下町史」には付録として、文献史料の一部を載せること、とくに民俗編という項目は立てずに、近世と近現代史の歴史叙述の中に民俗分野を記述する、という方針も打ち出した。
 こうして昭和六十年の四月から編さん事業の本格的作業が開始された。計画では一年間を基本調査、二年目に補足的調査を行ないつつ執筆に入り、三年目の同六十三年初夏ごろまでに刊行するというものであった。そこで各部会とも最低月一回の会合を持ち、調査や意見の交換をするということになった。短期間の事業であるので、原則として考古学的発掘作業は実施しない、ということにしたが、それでも夏休み等を利用して町内三か所の緊急調査は実施した。
 史料の調査研究の上で何といっても役に立ったのは、昭和五十四年以来実施してきた事務局の、町内外史料の目録化という成果であった。事務局といっても数名のスタッフであったから、尨大な史料の目録化は並大抵のことではなかったろう。しかしこれがあったからこそ石下町史の編さんは、短期間にかつスムーズに進行したといえる。
 作業が進むにつれて史料編は町の「地誌」とすることが決まった。江戸時代と明治期のものを収録することにしたが、特に新石下村の地誌は町民の皆さんにとって、親しみやすいものと思われる。残念ながら他村の同種のものが残っていないので、町域全体を明らかにすることはできない。
 ともあれ短期間の編さん事業であるので、構成・内容とも十分なものではない。しかしこの一冊の町史をもとに、将来より充実した町史が編さんされることを期待したい。そしてまた従来の編さん過程で集められた史料をもとに、今後町役場の中で作成される公文書等を保存する気運が高まることを願っている。戦後の町村合併以降役場史料の多くを失なっている現状から考えて、そのことは是非とも考慮して欲しいものである。
 最後に刊行計画に合せて協力いただいた執筆者各位にお礼申上げ、私どもの無理な注文を心よく聞き入れて下さった事務局の野口・木村・岡本・金森の諸氏各位に心からの感謝を表したいと思う。また印刷の面で予定を変更することなどに対処していただいた精興社と、実際に担当された中村勉氏にも感謝申上げる次第である。
 なお町史編さん体制等について列記すると、次のとおりである。
 
 石下町史編さん委員会委員
  顧問瀬谷義彦茨城大学名誉教授
  委員長松崎良助石下町長
  副委員長秋葉カナメ文化財保護審議委員長
所理喜夫駒沢大学教授
  主幹佐久間好雄茨城工業高等専門学校教授
  委員宮本袈裟雄武蔵大学教授
大森信英茨城大学講師
川俣英一農村計画研究会
広瀬良弘駒沢大学講師
関井修郷土史研究家
中川岩雄町議会議長(昭60・4・1~62・5・30)
栗島由正右同(昭62・6・1~)
吉田信義町議会総務委員長(昭60・4・1~62・5・30)
坂入巌積右同(昭62・6・1~)
西村和万石下町助役
染谷隼人石下町教育長(昭60・4・1~61・3・31)
吉原勇右同(昭61・5・1~)

 部会員・執筆者一覧
  (区分)(委員名)(氏名)(執筆分担 数字は章-節を示す)
  原始古代専門委員大森信英原始古代の石下 Ⅳ-1 2 3
調査委員桜井二郎Ⅱ-2 4 5
調査委員川井正一Ⅲ-1 2 Ⅴ-1 2 3
調査委員佐藤誠Ⅰ Ⅱ-1 3 5
  中世専門委員広瀬良弘中世の石下 Ⅱ-1 2 Ⅳ-4 Ⅴ-2 近世・Ⅴ-5
調査委員大窪範光Ⅰ-1 2 Ⅲ-1
調査委員糸賀茂男原始古代・Ⅵ-1 2 3 中世・Ⅲ-2 3
調査委員久保田昌希Ⅳ-1 2 3
  近世専門委員所理喜夫総説 近世の石下
調査委員小暮正利Ⅰ-1 2 3 Ⅱ-1 2 3 Ⅶ-1
調査委員永瀬衛Ⅲ-1 2 3 4 Ⅶ-2 3
調査委員篠崎憲二Ⅳ-2 Ⅷ-1 2 3
調査委員宮本由紀子Ⅳ-1 3 Ⅵ-3
  近現代専門委員佐久間好雄近現代の石下 Ⅰ-1 2 Ⅱ-1 Ⅲ-1 Ⅳ-1 Ⅴ-1 3 Ⅷ-1 2
専門委員川俣英一Ⅰ-3 Ⅱ-2 Ⅲ-3 Ⅳ-2 Ⅴ-2 4 Ⅵ-1
調査委員藤村達見Ⅱ-3 Ⅲ-2 Ⅳ-3
調査委員増田実近世・Ⅵ-1 2 近現代・Ⅶ-1 2 3 4 Ⅷ-2
  民俗専門委員宮本袈裟雄近世・Ⅴ-1 4 近現代・Ⅴ-5 Ⅵ-2
調査委員山中清次近世・Ⅴ-2 3 4
調査委員佐藤栄一近現代・Ⅲ-4 Ⅵ-2


 
なおこのほか中世編の執筆に次の方々の参加をえた。
 藤本正行(中世Ⅴ-1)、藤井尚夫(同上)、後藤道雄(中世Ⅴ-3)、有元修一(中世Ⅱ-3)
 また、中世Ⅳ-4と巻末付録年表は事務局岡本富男が担当した。
町史編さんのためにご協力いただいた機関・個人を列記すると次のとおりである(順不同、敬称略)。
 
 町内
  相山栄一郎青柳敏幸青柳彦次郎秋葉紋子秋葉いゑ子秋葉幸右衛門
  秋葉節秋葉武男秋葉光夫秋葉亨秋葉秀男秋葉允男
  秋葉好光浅米元一浅野茂富新井清新井フミ荒川伊三郎
  荒川一男飯島弥三郎飯塚淳飯塚竹治飯塚誠飯村芳雄
  飯山保男石山豊次郎石塚市太郎石塚軍次郎石塚武石塚哲夫
  伊藤栄吉稲葉俊稲葉実猪瀬一男入沢英治岩崎美武
  内海正三内海恒浦和明海老原たけ大久保和子大島清市
  大林勘一大類福重岡田友光岡野幸蔵岡野正三岡野幸夫
  岡本好和落合信小野寺忠作小野村忠夫門井金男門井甲子雄
  門井福夫門井平治郎軽部一郎川田六郎上林忠行菊地藤治
  菊地義男菊地芳治北岡清木村格之助木村利次草間武次郎
  草間良信倉金善一倉金嘉雄倉田武夫倉田英夫倉持菊次郎
  栗島由正黒沢敏雄黒須博小口弘小島力小林芳江
  近藤良之斎藤永二斎藤和吉斎藤宣男斎藤芳太郎坂入海二郎
  佐藤久三郎椎名達雄清水義雄柴政安篠崎秋三郎篠崎育男
  篠崎光之助篠崎隆夫篠崎正雄鈴木一也鈴木源太郎鈴木亮三
  関井修関井仁関根秋雄瀬高和夫瀬高善吉瀬戸井五郎
  添野好高島正男高島行男高橋角治郎高橋敏一高橋正吾
  高野良一塚本敏夫塚原修一郎中川彦太郎中川英男中沢昭寿
  中島林長瀬恭弘長塚幹之助長塚庄二長塚利夫長塚久江
  長塚福次郎中山橘一中山清中山興太中山亨中山宗尚
  中山勇太郎中村隆雄生井耕一沼尻英男野口恵助野口善次郎
  野口幹男野村英治長谷川功羽太絹枝服部清平塚義信
  福田定光福田信一堀越正巳増田貴可増田栄増田四郎
  増田武三郎増田達美増田務増田秀市松崎慶太松崎照雄
  皆葉順一武笠一夫武笠英男村関菊逸安田栄谷田部山治
  谷中三行山口清山口五郎山口順一山中直次郎横瀬克巳
  横瀬武四郎吉川昭一吉川武男吉田義雄吉原文雄吉原兵一
  渡辺修渡辺源誠渡辺こと渡辺新一渡辺まさ渡辺もと
  渡辺泰広渡辺亮
  歓喜寺 願牛寺 興正寺 光明院 西福寺 水生寺 常光寺 善福寺 東源寺 東弘寺 長照寺 長楽寺 
  法輪寺 龍心寺 小保川消防後援会 新浦自治会 崎房西山自治会 石下町民俗資料館
  町立石下中学校 町立西中学校 町立石下小学校 町立豊田小学校 町立玉小学校 町立岡田小学校
  町立飯沼小学校 八間堀川沿岸土地改良区
 県内
  水戸市茨城県立図書館 茨城県立歴史館
  千代川村杉田三郎 人見助雄 無量院 宗任神社 法光寺 千代川村教育委員会
  八千代町秋葉五郎兵衛 小川喜三郎 小祝次男 国府田鉉夫 高野偉 広瀬利男
八千代町教育委員会 弘徳寺
  下妻市菊池正生 古沢淳 下妻市教育委員会 光明寺 円福寺
  岩井市五津忠男 妙安寺
  水海道市水海道市史編さん室 安楽寺
  関城町関城町史編纂室
  つくば市串田全男 沼尻隆 矢口良雄 つくば市教育委員会大穂地区教育事務所 永興寺 宗徳院 
随翁院 大祥寺
  新治村岡本武雄
  阿見町阿見町教育委員会
  金砂郷村金砂郷村教育委員会
  江戸崎町臼田喜平
  北茨城市豊田美雄
  三和町久昌院
  五霞村東昌寺
 県外
  埼玉県豊田長子 伊奈町教育委員会 草加市史編さん室
  東京都明治大学刑事博物館 八王子市郷土資料館 日本大学文理学部史学研究室 国立公文書館


 
事務局職員 室長 野口三夫  主幹 木村文子  主幹(兼務) 金森久江  嘱託 岡本富男
                                       (主幹 佐久間好雄 記)