恐慌と十五年戦争

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大正九年(一九二〇)世界大恐慌が日本にも波及する。三月に株式商品市場が大暴落し、四月には銀行破産と取付け騒動がおこる。米穀その他生産物は暴落し、町民の多くが破産の危機に直面する。昭和に入って浜口内閣は、同五年(一九三〇)不況打開策として金輸出の解禁を断行したが、これは反って世界恐慌と相まって深刻な昭和恐慌を引きおこした。
 町域では昭和七年に石下町が、また同十一年には豊田村が、県より更生計画樹立指定町村に指定され、自力更生をはかる。豊田村の更生計画が樹てられた昭和十一年ころには、町域も長かった農業恐慌のトンネルを抜けたのであるが、それは優れた更生計画のおかげというよりは、日本経済の軍事化インフレによるものであった。
 これより早く昭和六年満洲事変が起こって日本軍は大陸に出兵、私たちが知らされぬまま、戦争は同十二年の日中戦争、同十六年太平洋戦争へと拡大した。十五年戦争とも称されるこの戦争は、尊い生命とともに、数百年かけて蓄積してきた民富をも戦火に焼きつくした。