縄文土器の出現(草創期)

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今から約一万二〇〇〇年前、最後の氷河期が終了し、気候が温暖になり始めた頃に、縄文時代は開始した。温暖になったといっても、現在よりはかなり寒冷な気候のために、初期の縄文人の営みは洞穴、岩陰で発見されることがほとんどで、その痕跡もごくわずかである。
 日本で最初につくられた土器は、豆粒(とうりゅう)文土器と呼ばれ、長崎県泉福寺洞穴遺跡で発見された。土器は表面に小豆粒大の粘土を貼りつけただけの、丸底の深鉢である。この発見までは、隆線文系土器が最古とされてきたが、豆粒文土器は下の層から発見されたために、より古い土器と考えられている。しかし現段階では、泉福寺遺跡が唯一の発見例である。
 次の段階である隆線文系土器(口縁部や胴部に細い粘土紐を貼り付けた土器)の時代になると、わずかながらではあるが日本各地で発見されるようになる。茨城県内でもいくつかの発見例は報告されているが、土器が発見されたといっても、小さな破片であるため、遺跡の範囲や規模が明確でないことが多く、この頃の社会を復元することはまだまだ困難である。
 ところで、この隆線文系土器については、放射性炭素(C14)によって実年代の測定が行なわれている。長崎県福井洞穴遺跡出土の土器は、今から一万二七〇〇±六〇〇年前に製作されたもので他の隆線文系の土器からも近似した年代値が得られており、現在、世界で発見された土器のなかでは、豆粒文土器に次いで世界最古の土器となっている。
 なお、石下町および近隣地域からは、この時期の土器や遺跡は確認されていない。
 

Ⅱ-4図 豆粒文土器(長崎県泉福寺洞穴出土)