気候はいっそう温暖になり、縄文時代で最も暖かい時期となる。気候の変化とともに、海進も前期中葉に至ってピークに達する。このような環境の変化に呼応するかのように、縄文人はその活動をより活発にし、大規模な集落も形成され始める。鴻野山貝塚人たちは、まさにこの時期に登場してくるが、彼らの足跡は町内数か所で認めることができる。
土器は縄文時代を通じて、最も複雑な文様が施されるようになる。前半は繊維土器が主流を占め、施される縄文も羽状縄文に代表される複雑なものとなる。後半になると竹管によって平行沈線や刺突などが施されるようになり、胎土に繊維を含まなくなる。器形も尖底は消えて平底となり、用途も煮沸のみであったものからさまざまに分化し始める。たとえば、容器として用いられたと考えられる片口付注口土器があらわれたり、加熱の痕跡がなく貯蔵にのみ使用されたと考えられる深鉢などが登場したりする。おそらく、生活が多様化したために、土器もそれに対応していったのであろう。