縄文文化の終焉(晩期)

49 ~ 49 / 1133ページ

Ⅱ-9図 晩期の土器(町内出土 安行3a式脚部欠損)

土器の文様は、前半期が磨消縄文を中心としているのに対して、後半期は沈線などを多く用いて施すようになってくる。特に中葉以降になると、東北地方に中心をもつ亀ケ岡文化の影響が強くみられるようになり、遠く近畿地方にまで及ぶものさえある。
 生活面では、海退により漁撈活動に限界が生じ、さらに気候の冷涼化による生態系の変化も加わり、さまざまな生業活動は不振に陥り、集落は激減し、貝塚も消滅してしまう。新しい食料獲得の方法も見出せないままに、縄文文化は衰退の一途をたどることになる。
 時を同じくして、西日本では金属器を伴う稲作農耕文化が大陸よりもたらされ、急速にひろまってゆく。そして、いたるところで縄文文化を凌駕しながら、短期間のうちに東日本にも到達し、縄文時代は終焉をむかえることになる。人々に豊かさと定住生活をもたらすことになる新しい文化は、弥生文化と呼ばれた。