日本列島に人類があらわれてからどのような居住形態を示してきたかについては、まだ明確にされていない部分が多い。先土器時代では、洞穴・岩陰などを利用した住居もひとつの居住形態と考えられるが本県では今のところ確認されていない。本県でも先土器時代の遺物はかなり発見されているが住居については判明していない。しかし、発掘調査によって石器・剝片・礫等が集中して出土する範囲を手がかりとして住居の範囲を追求しようとする研究がなされている。
縄文時代以降の住居については、ほぼその形態が発掘調査された遺構から把握されるようになってきた。住居の形態には、地面を掘り込んで作られた竪穴式住居、床を高く上げた高床式住居、平地にそのまま屋根を葺きおろした平地式住居などが考えられる。しかし、これらの中で平地式住居などは、旧表土下まで掘り下げる現在の発掘調査では検出しにくいものである。一般的なものとしては検出例の多いのは竪穴式住居である。
竪穴式住居の構造は、時期や環境・地形の状況によってもやや異なる。一般的には地表面を四〇~五〇センチメートルほど掘り込んで、その面を床面とし柱を立てて家屋を構築したものである。その中に周壁溝や壁ぎわに小柱穴が掘られたものや周壁あるいは周壁溝に沿って板壁などが廻らされたものと考えられる。炉は早期は屋外に設けられ前期ごろから屋内に設けられるようになる。竪穴住居の平面形は、方形・楕円形・円形・台形などさまざまである。その形状が変われば上屋の構造も変わるものと考えられる。住居の掘り込みの平面形が円形の住居は、柱穴が床面の炉を中心にして壁沿いに廻る場合が多く、上屋構造は円錐形が想定される。方形のものは切妻の上屋構造が考えられよう。このような構造も時期や地域により多少異なりをみせる。