漁撈

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漁撈は、海岸に面した地域に住んだ縄文人にとって、最も重要な食料獲得の方法であった。魚類の捕獲については、三つの方法があったと思われる。釣る・突き刺す・網を用いるといった方法である。
 釣りでは、釣針が不可欠な道具となるが、一般的には鹿角を加工したものがほとんどである。時代や捕獲対象とする魚によって形態は異なるものの、基本的には、現在使用されている釣針と同形であり、かえしをつけてより捕獲を確実にしているものさえある。これらは、釣りによる漁法が最も効果的と考えられる外洋に面した地域で発見されることが多く、内湾地域ではほとんどみられない。
 次に、突き刺す道具として、モリ・ヤスがある。これらは、木の柄の部分が腐触して残っていないが、骨製の先端部が発見される。用途としては、モリは獲物に投げつけて突き刺し、ヤスは柄を持ったまま突き刺したものである。これらの出現率を調べると、外洋に面した地域ではモリが、内湾地域ではヤスが多くなっている。素材としてシカの角やエイの尾骨を利用したものが多い。モリは、頭が柄から離脱可能なもの(回転離頭銛)と頭が固定されているものとに分かれるが、前者は東北地方、後者は関東地方で多くみられる。関西方面では、モリはあまり発見されていない。
 網漁は、具体的な網の検出は無いとしても、漁網錘の存在と、縄文土器にみられる縄の発達によって、当然行なわれていたと考えられる。このうちの漁網錘には、土器片錘、切目石錘、有溝土錘があり、これらは時期と地域においてその出現を異にしている。すべてに共通することは、網をかけるのに都合がよいように切りこみが入っている点である。漁網錘は、中期以降かなりまとまって出土する傾向がみられる。この漁法の場合、漁網による捕獲のみだけでなく、釣りや突きを行なう場合においても使用され、かつ不可欠なものであったと思われる。
 

Ⅱ-15図 県内出土の釣針
(右:桜川村広畑貝塚出土 左:大洗町吹上貝塚出土)


Ⅱ-16図 県内出土のヤス,モリ
(右:モリ,利根町立木貝塚出土。中,左:美浦村陸平貝塚出土)

 鴻野山貝塚からは、ボラ、クロダイなどの骨が出土している。これらはいずれも内湾性のものであるため、この周辺で、ヤスなどを用いて捕獲されたものであろう。この他にも魚骨が出土しているが、小片すぎて識別は不可能であった。その他の獲物として考えられるのは、スズキ、コチや淡水産のコイなどである。
 採集された貝類としては、鴻野山貝塚では九九パーセント以上がヤマトシジミであったが、他には、カワアイ、ハマグリ、マガキ、オオタニシなどがみられた。これらの貝類は近くで採集され食されたものと考えられるが、汽水性の貝であるヤマトシジミが圧倒的多数を占め、さらにカワアイ、マガキも汽水性であり、鹹水性のハマグリも多数検出されることから、縄文前期の海進のピーク時には、鴻野山周辺まで海水が進入していた可能性は高い。
 前述のごとく、漁撈活動で得られる獲物には、貝類が多数存在するが、これらは食用だけでなく、貝殻を加工することによっていろいろな貝製品の素材にもなった。
 貝刃は、ハマグリのような二枚貝の殻の腹縁を加工して刃をつけたものである。用途としては、魚の「ウロコはぎ」や肉の切断などに用いられたと考えられる。
 次に貝製品としてよくみられるものには貝輪がある。その形態はさまざまであるが、ブレスレットとして腕に通して使用された。利器としてではなく、装飾品として用いられたものと思われ、死者が貝輪を腕に装着して埋葬された例がよくみられる。
 

Ⅱ-17図 県内出土の貝輪(茎崎町小山台貝塚出土)