これまでは動物性食料の獲得方法についてみてきたが、縄文人にとってこれと同様に重要な食料資源として、植物性食料があげられる。この植物性食料の獲得方法は、採集活動に依ることがほとんどである。これらは大別して、果実類・葉茎類・球根類(地下茎を含む)の三種類がある。遺存が困難なため、検出例は少ないが、当時の環境を復元してみると、ある程度の推定が可能である。
縄文時代の石下町は、照葉樹林帯の北端にあたるが、気候の変動によっては暖温帯落葉樹林帯にも入る混合地帯である。つぎにかかげるものは石下町では未出土であるがおそらく彼らは口にしていたであろう。たとえば、ブナ・ミズナラ・コナラ・ドングリ・トチ・クルミ・クリなどで、これらは生のまま食されるものもあったが、タンニンを含むものはアク抜きをし、粉末にしてダンゴやモチにすることもあったであろう。この場合、比較的長期間の保存も可能であったために、地下に穴を掘り、その中に貯蔵されることもあった。そのほかの果実としては、クワイ・イチゴ・ヤマブドウ・マメ類などが検出された。また、珍らしい例としては、ヒョウタンも発見されている。
葉茎類では、フキ、フキノトウ、ノビル、ウド、ワラビ、ゼンマイ、ヨモギ、ヤマゴボウなどが、球根類では、ユリ類、イモ類などが考えられる。これらは生で食べられもしたが、加熱してはじめて食べられるようになったものもある。煮沸に用いられた「土器」は、縄文人にとって可食食料を激増させたすばらしい発明品であった。