縄文時代の呪術についてはある程度発見される遺物等からその存在は考えられるが、呪術的行為については明確に理解されているわけではない。あくまで遺物・遺構等からの類推である。呪術の存在を類推できる遺物としては土偶や土版、石棒や用途不明な小型土器類、あまり実用的ではないと考えられる装飾品(装身具)等があげられる。その他、成人儀礼として未開民族でみられるような抜歯・研歯などが施された人骨の出土例などからも考えられよう。また、遺構としては死者の埋葬の在り方・埋甕・配石遺構などからも縄文時代の呪術の存在が考えられるであろう。
呪術的な遺物についてみると、まず、土偶があげられる。土偶は主に女性を表現した土製の人形である。現代人の考えでは、人形というと玩具的なものと考えやすいが、古代において人体を現わすことは、もっと厳粛な意味をもつものと考えられる。日本最古の土偶のひとつとして花輪台貝塚から早期中葉のものが出土しているがこの時期の出土例は少ない。やや多くなるのは中期以降で、後・晩期に多く出土している。しかし地域により多少異なりをみせる。土偶の出土例をみると、完全な形で出土することは稀で、ほとんどは手足や頭部の一部を破損した状態で検出されている。このことから、一部を欠くことにより悪霊を除こうとする身がわり説もみられる。また、乳房や膨張された腹部の表出から、出産にあたって、生まれてくる子への安全などを祈願したものであるという説がみられる。その他、土偶に類似するものに土版や岩版などがみられる。
Ⅱ-19図 県内出土の土偶,土版,耳栓形土製品
石棒は、石を棒状に加工したもので、長さは三〇~四〇センチメートルほどの細長い精巧なものと、一メートル以上もある太くて長大なものがみられる。大形のものは中期に多く、小形のものは晩期に多い。大形の石棒は、集落の祭祀場で儀礼的なものとして集落全体で崇拝されたものと考えられる。しかし、中期に大形であった石棒も後期以降は小形化し、晩期では丁寧に研磨されたものがみられる。はじめは一定場所で崇拝していたものが、やがて小形化して小さな単位集団の呪術具として持ちこまれたものとも考えられる。石棒に類似するものに石剣、石刀、独鈷石(どっこいし)とよばれるものがある。
Ⅱ-20図 町域出土の石棒
Ⅱ-21図 町域出土の独鈷石
そのほか縄文人の身体を飾っていた装身具類も呪術的なものとして考えられる。それらは単に身を飾るだけではなく、自分の身を守るとか呪術者が身体につけるとか呪術的な性格をもっていたと考えられる。