この場所からは、かなり多量の縄文土器片が検出されており、その分布も濃密である。時期的には、縄文時代後期(安行1から2式)の土器片が主体と思われるが、『茨城県史料考古資料編 先土器・縄文時代』によれば、加曾利E式から大洞BC式までの遺跡とされている。これはおそらく、耕地整理以前は縄文時代中期から晩期にわたる複合遺跡が存在していたのであろうが、その後の破壊で縄文時代後期が主体と思われる墓地周辺のみしか残っていないためであろう。
なお、飯沼低地をはさんだ対岸三キロメートルの地点には、猿島町山村の香取裏遺跡が存在している。この遺跡も、縄文時代中期末から晩期初頭のものである。近距離にあり、時期的にも重複することから。本遺跡に住んだ人々と関連があったかもしれない。
Ⅱ-27図 崎房香取塚遺跡全景(昭和62年)