古墳の出現

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弥生時代の終り頃から古墳時代のはじめにかけて、各地に「方形周溝墓」とよばれ古墳の前身ともいわれる墓制が現われてきた。石下地方ではまだ発見されていないが、県内でも水戸市西赤塚団地や、那珂郡東海村須和間等で発見されている。この方形周溝墓と相前後して、高塚墳である古墳がつくりはじめられたことが明らかになってきた。
 古墳は豪族達が葬られた墓であるが、石下地方を四~五〇〇年の間、支配した豪族達は、西日本から伝わった新しい墓制を受入れ、町内の陣屋や御林、神子埋、北山、登戸等に古墳をつくっていった。
 古墳は盛り土で、その内部に石棺や石室等、遺体を入れる棺槨をつくって葬るという方法をとったため、千数百年の現在までには、かなり多数の古墳が、耕作、開墾、開発の名で消滅したと考えられる。
 古墳には前方後円墳(同後方墳)のほか、円墳、方墳、横穴等があり、横穴を除いて石下町内からも発見されている。