古代村落には、『儀制令』に「国郡郷里、村ごとに社神あり」とあるように、村落ごとに社が設けられ、村落民の祭祀の場となっていたことが知られている。社は、そこに集う村落民に対する支配を徹底するための場としての役割も担っていた。多くの社のなかで、国家にとって重要とみなされた社は、国家的神祇編成の過程で、大社や小社として格付けがなされていった。一〇世紀初頭に成立した『延喜式』に記載された社を式内社と呼んでいる。下総国においては、大社一座、小社一〇座の一一社で、次のとおりである。
下総十一座
香取郡一座大
香取神社名神大、月次新嘗
千葉郡二座並小
寒川神社 蘇賀比咩神社
匝(迊)瑳郡一座小
老尾神社
印播(幡)郡一座小
麻賀多神社
結城郡二座並小
高椅(橋)神社 健田神社
岡田郡一座小
桑原神社
葛餝郡二座並小
茂侶神社 意富比神社
相馬郡一座小
蛟〓神社
これは、大社七座、小社二一座の常陸国と比べると少ないことがわかる。岡田郡の桑原神社は小社であり、祈年祭にあたって国司が幣帛を奉る神社である。
桑原神社は石下町国生にあり、かつては現在地の東方、鬼怒川を望む台地、国生古明神の地にあり、延宝六年(一六七八)に現在地に奉遷したといわれている。祭神は、天熊人命、稚彦命、大山咋命、豊城入彦命で、宝亀三年(七七二)、下総介桑原王が創建したと伝えられている。宝暦以前は香取明神と称していたが、棟札によって桑原神社と改称したといわれている。