それに対し、三二基が確認されている板碑には、その部分が欠失しているものは別として、すべてに何等かの銘文が刻まれている。この、板碑と呼ばれる中世の石造供養塔婆は、一三世紀の前半から一六世紀にかけて造立された中世特有のもので、地域により粗密はあるが全国的に分布している。
また、その形態も地域により異なり、最も典型的な形態を示すのは、埼玉県を中心に関東地方に分布する武蔵型板碑と呼ばれる板碑群である。それは、Ⅱ-18図のように、板状に成型した石材の頂部を三角形とし、その下に二条の切り込みを入れるという簡単な造形である。塔身部には、上部に梵字などで本尊を表し、下部には銘文を刻むのが通例である。石材は、荒川の上流に産する緑泥片岩である。
Ⅱ-18図 板碑(石下町蔵持字石塔より出土,下半部欠失)
このような武蔵型板碑のなかには、全国でも最も古い年号を刻むもの(埼玉県大里郡江南町所在嘉禄三年銘板碑)もあり、板碑発祥の地ではないかともいわれている。このような、典型的な形態を示すものとしては、他に四国の徳島県地方に分布する阿波型板碑がある。
また、もっと簡単な形態のものもあり、石材を若干成型した程度のものから自然石そのままに梵字や銘文を刻み付けたものまで多種多様である。
石下町は、このような様々な板碑の分布圏のなかでは武蔵型板碑の分布圏の最東端に位置するとともに、筑波山周辺に分布する常陸型板碑の分布圏にもふくまれている(『茨城県史』中世編)。この、常陸型板碑とは筑波産の黒雲母片岩を石材としたもので、従来はこの石材を用いて作られている茨城県内の板碑を一括して常総系板碑と呼びならわしてきたが、近年、その形態等の相異から龍ケ崎市から稲敷郡・鹿島郡にかけて所在するものと、筑波山周辺に分布するものとを明確に分けて考える傾向にあり、後者を常陸型とするものである(『同書』)。
その特色は、ほぼ自然石に近い石材に梵字や銘文を刻んだもので、町内の蔵持公民館敷地内や、石下の西福寺に所在する建長年間の銘文をもつ四基が、その代表例として著名である。
Ⅱ-19図 建長の板碑(蔵持公民館)
それに対し、前者は武蔵型板碑に近い造形をみせ、千葉県の香取郡を中心に分布する下総型板碑と類似点が多い。そして、武蔵型板碑と前述の両者を含めた常総系板碑との分布境界線は、ほぼ小貝川流域に引くことができるという(『同書』)。つまり石下町域は、二つ、ないしは三つの系統の板碑分布の接点に位置しているのである。
さて、それでは町内に所在する板碑を具体的にみてみたいと思う。Ⅱ-1表は町内の板碑を所在地別に一覧表にしたものである。
なお、埼玉県北埼玉郡大利根町旗井の星福寺に所在する正応六年(一二九三)銘の板碑断片は、もと石下町内にあったものである。
Ⅱ-1表 町内所在板碑一覧(昭和五十七年度茨城県史編さん室調査による) |
所在地 | 番号 | 本尊種子他 | 銘文 | 西暦 | 法量(センチメートル) | 形状 | 備考 | 通し 番号 | ||
高 | (上)幅(下) | 厚 | ||||||||
1 石下町 民俗資料館 | 一 | 阿弥陀(蓮座) | 文口(保カ)二年 道口(徳カ)禅尼 十二月口日 | 一三一八? | 五五・四 | 一六・二 一六・九 | 一・五 | 完 | 新石下松崎 昭雄家旧在 | 一 |
二 | (欠失) | 元徳二年 月 日 | 一三三〇 | 三五・〇 | 一七・五 | 二・〇 | 上欠 | 大字杉山 地内出土 | 二 | |
三 | 阿弥陀(蓮座) | 建武二年 十一月 | 一三三五 | 四一・五 | 一九・〇 二〇・〇 | 一・七 | 下欠 | 同右 | 三 | |
四 | 阿弥陀(蓮座) | 康永元年 八月 日 | 一三四二 | 五三・五 | 一八・〇 一九・〇 | 一・九 | 完 | 同右 | 四 | |
五 | 阿弥陀(蓮座) | 文和二二年 十一月 日 | 一三五五 | 五一・五 | 一六・四 一七・三 | 二・一 | 完 | 同右 | 五 | |
六 | 阿弥陀(蓮座)(花瓶) | 三五・〇 | 一二・〇 一三・四 | 一・七 | 略完 | 同右 | 六 | |||
七 | 阿弥陀(蓮座) | 延慶二年 十月 日 | 一三〇九 | 六五・〇 | 一九・〇 二〇・五 | 二・二 | 完 | 蔵持字石塔 出土二分断 | 七 | |
八 | 阿弥陀(蓮座)(花瓶) | 正和二年 十一月 日 | 一三一三 | 七二・五 | 二一・五 二三・五 | 二・二 | 完 | 同右 | 八 | |
九 | 阿弥陀(蓮座)(枠線) | 文保〓(元カ) | 一三一七? | 四五・〇 | 二一・二 二二・〇 | 二・四 | 下欠 | 同右 | 九 | |
一〇 | (花瓶) (欠失) (花瓶) | 嘉暦元年 月廿一日 | 一三二六 | 二九・五 | 二一・五 | 二・八 | 断碑 | 同右 | 一〇 | |
一一 | (天蓋)阿弥陀(蓮座) | 八四・五 | 三四・五 | 三・八 | 下欠 | 同右二分断 | 一一 | |||
一二 | (欠失)(蓮座) | 五四・五 | 二五・〇 二五・五 | 四・〇 | 上欠 | 同右 黒雲母片岩 | 一二 | |||
一三 | 阿弥陀(蓮座) | 口(観カ)応三年 十月 | 一三五二? | 三九・五 | 一八・〇 二一・〇 | 二・〇 | 下欠 | 本石下瀬戸 久男家旧在 | 一三 | |
一四 | 阿弥陀(蓮座) | 二〇・〇 | 一一・〇 | 二・五 | 断碑 | 同右 | 一四 | |||
一五 | 観音 阿弥陀(蓮座) 勢至 | 五一・〇 | 二一・〇 二三・〇 | 一・五 | 下欠 | 同右 | 一五 | |||
2 崎房共同墓地 | 一 | 阿弥陀(蓮座) | 一五・〇 | 九・〇 | 一・五 | 断碑 | 一六 | |||
二 | 阿弥陀 | 一一・五 | 一二・五 | 二・〇 | 断碑 | 一七 | ||||
3 国生不動院 | 一 | 阿弥陀(蓮座) | 文 | 二六・〇 | 一四・八 | 一・四 | 断碑 | 一八 | ||
4 杉山薬師様 | 一 | 阿弥陀(蓮座) | 正和□□(三年カ) | 一三一四? | 五七・三 | 十五・〇 一六・五 | 二・三 | 完 | 一九 | |
5 向石下 増田家墓地 | 一 | 阿弥陀(蓮座) | 嘉暦二二年 月 日 | 一三二九 | 二三・〇 | 十五・三 | 一・八 | 断碑 | 二〇 | |
二 | 阿弥陀 | 一六・五 | 一四・〇 | 一・六 | 断碑 | 二一 | ||||
三 | 阿弥陀(枠線) | 一三・五 | 一四・〇 | 一・四 | 断碑 | 二二 | ||||
6 蔵持公民館 | 一 | 大日 観音 勢至 | 建長五年□□十一月四日 | 一二五三 | *一八八・〇 | 一五五・〇 一五〇・〇 | 一九・〇 | 完 | 引手山旧在 黒雲母片岩 | 二三 |
二 | 阿弥陀 | 建長七年大才 乙卯二月十四日 敬白 大勧進〓 | 一二五五 | *一八三・〇 | 一〇七・〇 一四五・〇 | 二三・〇 | 完 | 同右 黒雲母片岩 | 二四 | |
三 | 阿弥陀 | 建長八年大〓〓〓 | 一二五六 | *一〇二・〇 | 六九・〇 八〇・〇 | 一〇・〇 | 完 | 同右 黒雲母片岩 | 二五 | |
7 本石下 本上公民館 | 一 | 阿弥陀(蓮座)(枠線) | 文保二年 口月 日 | 一三一八 | *四二・〇 | 一七・〇 一七・五 | 二・〇 | 完 | 二六 | |
8 本石下興正寺 | 一 | 釈迦(蓮座) | 正中二年 七月 日 | 一三二五 | 五〇・〇 | 一五・二 一六・五 | 二・二 | 完 | 本石下字 こやの出土 | 二七 |
二 | 阿弥陀(蓮座) | 嘉暦二年 六月 日 | 一三二七 | 七八・五 | 二〇・〇 二一・八 | 二・二 | 完 | 同 右 | 二八 | |
9 西福寺 | 一 | 阿弥陀 | 類講結口 上六十口 建長六年大才 甲刁二月十四日 | 一二五四 | *一六九・〇 | 一〇〇・〇 一四七・〇 | 二六・〇 | 完 | 引手山旧在 黒雲母片岩 | 二九 |
10 新石下 関井仁家 | 一 | 釈迦(蓮座) | 永仁五年八月日 | 一二九七 | 四二・〇 | 一四・〇 一四・八 | 一・六 | 略完 | 蔵持出土 | 三〇 |
二 | 阿弥陀(蓮座) | 正和二年 七月一日 | 一三一三 | 六七・五 | 一八・五 二〇・〇 | 二・四 | 完 | 同右二分断 コンクリー トで補修 | 三一 | |
三 | 阿弥陀(蓮座)(花瓶) | 慶応三年 〓〓 | 一三九一? | 四二・五 | 一五・〇 一五・五 | 一・七 | 完 | 同 右 | 三二 |
法量の*印は地上高を示す |