「東国闘戦見聞私記」と戦国期豊田氏の研究

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ところで戦国期の豊田氏の政治的動向は、多賀谷氏と小田氏の政治的動向に大きく影響されていると考えられる。これは石下地域が下妻や小田の地域と近接していることからも当然のことである。しかし、わたくしたちが戦国期の豊田氏の実像について知ろうとするとき、一等史料としての古文書(例えば豊田氏による発給文書など)が今日、全く伝えられていないのが現状である。こうしたこともあって、これまで戦国期の豊田氏および石下地域の研究は、そのほとんどが「東国闘戦見聞私記」や「東国戦記実録」などの合戦記によって語られてきている、といっても過言ではない。
 「東国闘戦見聞私記」とは別名「常総闘戦見聞私記」ともいい、明治四十年(一九〇七)に吉原格斉という人が校訂を加えて発刊した戦国の合戦記であるが、格斉の記した本書の凡例によれば、皆川老甫と大道寺友山によって著わされた常陸下総の合戦記をもとにして、後年江戸の講釈師神田貞興が「其遺を補ひ其冗を袪りて」四〇巻にまとめたもの、という。皆川老甫や大道寺友山は近世初期の人物であり、大道寺友山は「落穂集」の著者としても有名である。したがって本書の底本は一応、史実をもとにしているようであるが、その後神田貞興や、さらに吉原格斉によっても筆が加えられたようであり、史実への脚色、創作がなされていったであろうことは推測しうるところであろう。この点は、通俗的な文体によって本書がなされていることからも肯定できよう。しかしながら史実をどのように脚色、創作していったかということについては残念ながら、現時点では明確にすることはできない。ただ、だからといって本書を全面的に信用しつつ、戦国期の常総および豊田氏の研究をすすめていくことには慎重でなければならないであろう。たしかに本書をはじめとする合戦記の類本は、興味深く読めるのではあるが、史実と脚色、創作の間の溝を埋めていくには、もう少し時期がかかりそうである。
 

Ⅳ-2図 多賀谷関係諸本(下妻市教育委員会提供)(1)


Ⅳ-2図 多賀谷関係諸本(下妻市教育委員会提供)(2)