政幹は「竜心寺過去帳」にも、「当寺開基竜心寺殿副将軍将基公忠尊入道」とみえ、伝承上は「将基」という文字が当てられるようである。なお、「竜心寺過去帳」には安永七年(一七一〇)に当時の住持であった一四世の海印竜山が記した「当山縁由考訂」が掲載されているが、これに蹐竜(つぐみりゅう)の旗の伝承が記されている。政幹(将基)が前九年の役に出陣した際、阿武隈川を渡ろうとした時に、旗に描かれていた蹐竜(蟠竜)が大竜となり橋となって将基の兵を渡したというのである。なお、この蹐竜の旗の伝承については、次章第二節の竜心寺や金村神社に関する記述のところでも触れるので略記するにとどめた。
すでに触れたように「竜心寺過去帳」に政幹(将基)は「副将軍」と記されており、系図にも「将軍」とみえている。現在でも毎年十月十日に将軍祭りが人びとにより行なわれている。