北向きの女体神社

273 ~ 273 / 1133ページ
草加柿木には、豊田氏と神仏に関する伝承が二つある。豊田城が下妻の多賀谷氏の侵略によって攻め落とされたとき、夫人と遺児がわずかな部下を率いて辛うじて城を抜け出し、敵の厳しい追及の手を逃れて落ち延びることができた。そしてそのまま帰農し新田開発につとめ、何とかめどのついたところで、豊田の地にいたころから厚く信仰を寄せていた筑波山の女体神社の分霊を勧請して、筑波山の方向を望むように建てたので、北向きの社殿になったというのである。