金村の雷神・水神と十王像

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もう一つの伝承は柿木町の五軒在家にある十王堂の十王像は、柿木の開拓の祖である豊田氏が、豊田落城の際に城を抜け出した城主の夫人をはじめ遺児やわずかな部下たちは、一族の守護仏である十王像をはじめ諸仏を背負っていた。敵に追われ、いよいよ駄目かと思われたのだが、金村まで来たところ、すさまじい雷が鳴り、大雨が降ってくれたため、そのすきに落ちのびることが出きた。その時、背負って来た雷神と水神とはそこで動かなくなったので、その地に祀り、十王像はそのまま背負われてきて柿木の地に祀られるようになったという。雷神と水神が金村で動かなくなったのは、この二神がそこに踏み留まって敵に向かったので、そのすきに豊田氏一行は逃げることができたという。それで、今も柿木の人びとが金村の雷神社に代参をたてているという(『草加市史』民俗編)。
 これまで、豊田氏に関する伝承をいくつかみてきたが、伝承が成立するには、それなりの理由が存在するはずであり、史実を探る作業と同時に、そのような伝承が成立してくる背景をも考察してみることが、今後は必要であろう。