近世中期までは在地の土豪的な有力農民たちは、「譜代下人」や、「奉公人」などを抱える、大経営を行なっていた。
「譜代下人」とはこうした有力農民に抱えられた隷属農民のことである。有力農民の多くは下男や下女たちを使って手作地を耕作するほか、手余り地を他の農民に貸して地代を得ていた。一方、隷属農民は自分の主家に無償で働き、田畑の耕作権やその他の扶持をうけて生活していた。
また、身分的には自由な小百姓たちでさえも、有力農民の土地を借りて小作をして生活していた。このように、有力農民と隷属農民、小百姓との間には相互補完関係があったが、こうした社会関係の中で有力農民の支配下にあった身分的に不自由な「譜代下人」は寛文期(一七世紀半ば)には自立過程にあり、一歩ずつ自立への道を歩んでいたといえる。