当地方の耕地の土質はアクト(肥土)とノガタ(野方)と呼ばれてきた。アクトは主として豊田谷原など沖積世の低湿地であったところの腐食土壌をさすもので、豊田の地名が示すように肥沃な土地である。文化五年(一八〇八)の本石下村「村差出明細帳」には「田方は三分二真土 砂地三分一に御座候」とその割合が記されており、この真土がアクトにあたるものであろう。対してノガタは、多く鬼怒川西部地帯の土地を指し、「田方の土地は赤土にて御座候」と享保十五年(一七三〇)の孫兵衛新田「村鑑指出帳」にあるように、火山灰質の赤土で稲作には適さないものであった。
さて、近世期の農業は水稲栽培が主となっていた。その水田のうち豊田谷原や江戸中期に干拓された飯沼などは条件のよい水田が多かったが、台地の間に入りくんだヤツダ(谷津田)や泥深く日影の湿田であるヌカリッタとかフカンダ(深田)、テジロッタ(手代田)と呼ばれる田の整備は遅れた。伝承によると、湧き水のあるフカンボと呼ばれる田の耕作は、腰まで入ってしまい、ワタリ板(棒)という竹や木でできた板を碁盤の目状に埋めておき、その上をナンバという田下駄に履いて作業しなければならなかったという。よそから来た嫁には、その田やワタリ棒の場所を知らないと危険であるからフカンボの仕事には「笠を被れ」と言ったもので、蔵持地区にはフカンボに牛がはまって死んだという伝承さえある(『蔵持の民俗』東京女子大学民俗調査団)。
こうした深田は年貢割付の等級では、「下の下田」またはその下の「見付田」(粗悪地)と格付けされた、生産性の極めて低い土地であって農作業も大変な苦労が伴った。この他「農業覚帳」(天保八年、秋葉いゑ子家文書)の中には「ほまち田」の記述があり、注目される。そこは田植え終了の祭りであるサナブリの翌日に、女や子供たちによって田植えが行なわれた。〝ほまち〟とはへそくりの意で、沼地を小規模に干拓して作った田であって、嫁や子供たちが小遣いを得るために耕作したものといえよう。
台地上のノガタの畑地には陸稲・麦・粟・稗・綿などの作物が栽培されていたが、「畑方は砂地にて麦作いたし候にも春風にて砂吹立て諸作不出来仕り候地面に御座候」(天保九年 崎房村「村差出書上帳」)とあり、孫兵衛新田の天明二年(一七八二)「「村差出明細帳」にも、当村の畑方一五町七畝五歩のうち下畑が三町五畝歩、砂畑四町二反七畝一八歩、葭畑六町三反七畝歩、その他が屋敷畑などであって、全体として生産性の低い劣悪な畑が多かったことがわかる。
このようにノガタでは土質も立地条件も恵まれていたとはいえず、そのうえ風水害や干ばつにしばしば見舞われ、当時の農民の生活は苦労が絶えなかったようである。以下近世後期の農民の主要な生産活動であった米・麦・粟・稗作りを見ていくことにするが、その史料は極めて少ない。ただ栗山新田の旧名主秋葉いゑ子家所蔵の農事記録「農業覚帳」(天保八から同十二年)が、近世後期の当地方の農業の様子を知る手掛かりになるので、この史料(以下「覚帳」と略記する)を中心として、さらに農具や伝承などの民俗資料を用いて、農民の生産活動の一端を明らかにしたい(なお表中の月日の記述は出典文書に従った)。
Ⅴ-1表 孫兵衛新田の秋葉家の農事 |
月 日 | 作 物 | 農耕儀礼と 祭りその他 | ||||
稲 | 麦 | 粟 | 稗 | 諸 作 物 | ||
5月 5日 | 節供 | |||||
7日 | 少々田植初め | |||||
10日 | 葭くるみ | |||||
12日 | 綿蒔き直し | |||||
13日 | 裸麦刈り | |||||
14日 | 田植(黒わせ) | |||||
15日 | ||||||
16日 | 本田の粟蒔き | 雇い丑松 | ||||
17日 | 新田の麦刈り | 雇い同人 | ||||
18日 | 田植(御前餅) | |||||
19日 | 田植(いせ縁・餅) | |||||
20日 | 代搔き・田植(いせ縁) | |||||
21日 | 代搔き | |||||
22日 | ヲサキ堀の田植 | 林蔵・おとり・兵助 | ||||
23日 | 古苗間の田植 | |||||
24日 | 尾崎堺荒くの田植 | 雨天 | ||||
25日 | 尾崎堺・瀬戸の田植 | 両田とも残らず | ||||
26日 | 苗代の葭くるみ←――― | ―裸麦返し | 雨天にて | |||
27日 | 古堀・尾崎堺の葭くるみ と苗取 | |||||
28日 | 苗代の田植,上割東の代 搔・田植,西向荒く代搔 | 雇い丑松 | ||||
29日 | 上割の田植 | 麦三反揚げる | 雇い丑松 | |||
晦日 | (是れ迄に一町程田植え 仕候) | 荒くの麦揚げ | 土手向の 稗片切り | 半夏 | ||
6月朔日 | 裸麦打ち | |||||
2日 | 本田畑小麦刈 | |||||
3日 | 本田畑小麦刈 麦つき | ――――――― | ――――― | →方切りもの | 林蔵 | |
4日 | 小家下の代搔 | |||||
5日 | 苗取と三角の田植 | |||||
6日 | 小家下の田植 | 雇い丑松 | ||||
7日 | 苗代の葭くるみと田植 | サナブリ | ||||
8日 | ほまち分沼の田植 | 女・子とも | ||||
9日 | 土手向の西瓜片切り | |||||
10日 | 香取東の粟片切 | 土手向一番畑の片切り | ||||
11日 | 六右エ門堀木綿畑の草取 小豆蒔き | |||||
12日 | 香取前の粟片 切の後―――→ | ←―――― 土手向の 稗抜き | ―――――――――― ←――――――――― | 又左エ門 林蔵 兵助 おるい おとら | ||
13日 | 稗のため出 | ←―耕し共 | 雇い丑松,雷雨 | |||
14日 | 小麦残らず打 | 稗のため出 | ←―耕し共 | 雇い丑松 | ||
15日 | 西新切の田の草 | 雇い丑松 祇園 ウドン | ||||
16日 | 麦つき | 油大豆の草とりと植え 共たばこ苗植 | ||||
17日 | 田の草(黒わせ・消夏餅) | 粟の草取 | 土用 | |||
18日 | 麦つき | 粟ため出と耕 | きみ抜き,大豆草取 きみため出と耕 | |||
19日 | 麦こき | 大豆の草取と耕 芋の草取 | 少々雷雨 | |||
20日 | 前壱反割の田の草取仕舞 | 大豆の草取と耕 | 雷雨 | |||
21日 | 芋のため出し耕 | あふや(青屋)に付き 昼より遊び | ||||
22日 | 新堀古田,東新切壱反の 田の草 | いんげんくね結い | ||||
23日 | 東新切田の草仕舞 | 西瓜こいためと耕 | ||||
24日 | 香取前と東の 粟抜と耕 | |||||
25日 | 堤苅り払い昼より休 | |||||
26日 | こさ刈り扶持人丑松 | |||||
27日 | 香取東の粟耕 | 稗畑こやし と耕 | 雇い常蔵,丑松 | |||
28日 | 古苗間の田の草 | 昼よりうどんにて遊び 雇い常蔵,扶持人丑松 | ||||
29日 | 上割尾崎境の田の草取 | 雇い常蔵 | ||||
6月朔日 | 尾崎境の田の草取 | 小勢にて取る | ||||
2日 | 尾崎境の田の草取残らず | |||||
3日 | 瀬戸の田の草取 | |||||
4日 | 沼の田の草 少々 | |||||
5日 | かた場の田の草取 | |||||
6日 | 麦打ち | 雇い丑松 | ||||
7日 | 麦打ち | たばこのこやし | ||||
8日 | 麦打仕舞 | 香取前の粟留切り | 雇い常蔵 | |||
9日 | 小家下の田の草取 | 馬場の麦つき | ――――――― | ――――― | ―――――――――― | →林蔵が手伝いに行く |
10日 | 三角其外沼の田の草取 残らず仕舞 | 馬場の麦つき | ――――――― | ――――― | ―――――――――― | →林蔵が手伝いに行く 当日盆仕入れ |
11日 | 大根畑耕し種蒔き | |||||
12日 | つき挽き | 盆仕度 | ||||
13日 | 馬のこい出し | 盆仕度 | ||||
23日 | 稲荷前の蕎麦蒔き | |||||
26日 | 蕎麦蒔き | |||||
27日 | 麦つき | |||||
28日 | 麦つき | |||||
29日 | 麦つき | |||||
30日 | 麦つき | |||||
8月16日 | 稗切 | 雇いおさわ | ||||
18日 | 粟稗切物 | 雇い常蔵 | ||||
25日 | 本田粟切り | 雇い常蔵,おさわ | ||||
26日 | 粟打ち | 雇い常蔵 | ||||
28日 | 刈り仕舞(黒わせ) | |||||
29日 | 刈り(御前餅) | |||||
30日 | 刈り(御前餅) | |||||
9月朔日 | 刈り仕舞(御前餅) | |||||
3日 | 本田の株返し | 雇い常蔵 | ||||
6日 | 小麦蒔き | |||||
13日 | 沼堅場の稲刈り | 雇い常蔵 | ||||
14日 | 三角・東新切の稲刈 | 雇い幸次郎,軍蔵 | ||||
20日 | こばれ打ち | えんどう畑の耕し | 雇い常蔵 | |||
21日 | 古堀の稲刈 | えんどう蒔き | ||||
24日 | 裸麦蒔き | |||||
25日 | 畑耕し | 雇い常蔵 | ||||
26日 | 畑耕し | 雇い常蔵 | ||||
10月12日 | 麦蒔き仕舞 | 雇い常蔵 | ||||
21日 | 稲刈り | 雇い幸次郎 | ||||
22日 | 稲刈り | 雇い幸次郎 | ||||
23日 | 稲刈り | 雇い幸次郎 | ||||
24日 | 稲刈り | 雇い幸次郎 | ||||
25日 | 稲刈り | 雇い幸次郎 常蔵 | ||||
26日 | 稲刈り仕舞 | |||||
11月 8日 | 籾摺 | 雇い常蔵 幸次郎 | ||||
9日 | 籾摺 | 雇い常蔵 幸次郎 | ||||
11日 | 籾摺 | 雇い幸次郎 | ||||
17日 | 籾たて 籾摺 | 雇い常蔵 | ||||
12月13日 | すすさらい 雇い常蔵 | |||||
外に3日 | もみひき エシゴト |
「農業覚帳」(天保8年)より作成 |