田起こしと代ごしらえ

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本田の代ごしらえの前には田起こしを三回するのが一般的で、単作では一回目が十二月中にカベタオコシ(壁田起こし)またはアラオコシ・一番起こしといって古株を人力の田うない万能や畜力による馬耕で掘り起こした。二回目は二月中にフグシ・二番起こし(うない)といい万能や馬耕を使って一番起こしとは逆方向から耕した。三回目は田植え間近に行なうもので、その際に藁・草の堆肥や厩肥を、タレビクと呼ぶ馬の背に付ける運搬具や、担架型のモッコで運び元肥とした。
 次にクロツケ(クロカケ)といってクロツケ鍬で畔塗りをして最後の段階である代搔きに移る。代搔きは田に水を入れてシロカキマンガを馬に引かせて荒搔き・中代・上げ搔きの三回程搔きならすことが多かった。栗山新田村の「覚帳」には、その際に「苗代葭くるみ」の仕事が盛んに行なわれたことが記されているのだが、この作業は苗代に葭を刈ってきて田下駄で田の泥の中に踏み込んだもので、地力を増すための刈敷農法である。最後に田の表面をカックラカシという道具で平にならして植え代が出来上がる。フカンボ(深田)の場合には、馬が入れないのでナンバを履いて万能や人手を使っての手代であった。
 

Ⅴ-3図 代ごしらえ(大正12年7月,増田達美氏提供)


Ⅴ-4図 ナンバ