次にクロツケ(クロカケ)といってクロツケ鍬で畔塗りをして最後の段階である代搔きに移る。代搔きは田に水を入れてシロカキマンガを馬に引かせて荒搔き・中代・上げ搔きの三回程搔きならすことが多かった。栗山新田村の「覚帳」には、その際に「苗代葭くるみ」の仕事が盛んに行なわれたことが記されているのだが、この作業は苗代に葭を刈ってきて田下駄で田の泥の中に踏み込んだもので、地力を増すための刈敷農法である。最後に田の表面をカックラカシという道具で平にならして植え代が出来上がる。フカンボ(深田)の場合には、馬が入れないのでナンバを履いて万能や人手を使っての手代であった。
Ⅴ-3図 代ごしらえ(大正12年7月,増田達美氏提供)
Ⅴ-4図 ナンバ