まず粟の栽培と収穫について簡単に触れておくことにする。粟の品種は「覚帳」に餅粟・うるち粟・三尺粟の三種類が見い出せる。その播種を粟蒔きといい、五月初めから中旬にかけて行なわれた。麦の畝間に細かくした厩肥・人糞尿のタメ・灰とを粟種と混ぜ合わせて手でつかみホシマキ(点播)をしたようである。半月位ごとに「粟片切り」を三回、最後を「留切り」という。その間「粟抜き」といって成長の遅れている苗や密集しているところを間引きしたり、人糞尿のタメや搾粕などの肥料を施したりした。八月中旬に「粟切り」といって稔った粟の穂を包丁や鎌で切りとり、フルウチボウで叩き落として脱穀した。この作業を「粟打ち」といった。
稗も粟と殆ど同じような栽培収穫法であるが、稗栽培の過程を具体的に知るために「覚帳」から天保十・十一年の二年間の稗に関する記録を抜きだして別表(Ⅴ-3表)にしてみた。
Ⅴ-3表 稗作りの記録 |
天保10年の稗作 | 天保11年の稗作 | ||
5月 2日 | 稗蒔き | ||
5月22日 | 稗抜き | 5月16日 | 稗蒔き |
5月30日 | 稗ため出し | ||
6月 1日 | 稗ためと耕 | ||
6月13日 | 稗こやし耕 | 6月12日 | 稗片切り |
6月14日 | 稗こやし耕 | ||
6月15日 | 稗こやし耕 | ||
6月19日 | 稗抜き | ||
6月29日 | 稗抜き | ||
7月 6日 | 稗留切り | ||
8月 5日 | 稗切り |
天保8年の場合は,8月16日稗切り 8月18日稗切り |
この史料では、種蒔きと間引き(稗抜き)、施肥(ため出し)、中耕(片切り)、収穫(稗切り)の仕事名と日付けしか記されていないので、作業内容や脱穀調整の過程について不明であるが、粟作とほぼ同様である。なお、「覚帳」の天保十二年の六月二十六日の項に「稗苗植え」という記事があるのを見ると、移植法も行なわれていたようである。