農民生活を衣食住の面からながめてきたが、商品経済の浸透の中でかなり豊かになってくる一方では、飢饉の多発やそれに伴う人口減少と農村の荒廃が進む状況があった。こうした中で幕府や領主は、農民の生活全般をより厳しく規制することで乗り越えようとした。ここで本石下村の「御取締向申合議定」の中から衣食と祭事の規定の一部をみてみたい。
一、百姓の儀は粗服を着し髮をも藁を以てつかね 雨道具は蓑笠のみ用い候事(略)
一、葬礼仏事有徳の輩たりと言うとも目に立たざる様手軽に致すべき旨度々御触れこれ有り候ところ 近
来身分不相応大造に執り行ない候ものこれ有り趣御聴に入り候間 以来葬送の節は(略)法事等に至る
迄なるたけ軽く致すべき事
一、百姓は手織りの品着用致し夫食等も手作の品相用い衣食薪等に至る迄成るたけ買い求めざるよう(略)
一、村々にて鎮守祭礼の節村内並びに隣村懇意のものども相互いに餅その外配りもの取り遣わし致し来
候(略)以来急度相止めるべき旨仰せ渡され候(略)
一、右祭礼の節若者ども申し合せて同じようなる衣類着用致し遊び歩き行き候趣合聞き不埒の至りに候(略)
一、葬式の節出会い致し候村役人始め其の外一同へ有り合わせの一汁を以て相賄い 尤も他村より参り候
ものへは一汁一菜差し出し申すべき事 且また粗飯にて苦しざる事
一、婿取り嫁取りの節は向う三軒両隣五人組ばかりにて其の時々の品を以て取り賄い兎角質素に致すべき
こと
この他に手間賃・諸物価の値下げや村祭り・風俗などが農業生産の向上を目指し取り決めがなされているが、果たしてこうした改革がどこまで農民に行き渡り、成果を収めたかは甚だ疑問である。