正月行事は、暮の煤払い・餅搗き・正月飾りなどの準備に始まり、一月二十日の二十日正月、あるいは一月三十日のミソカ正月までの約一か月間にわたって行なわれ、一月一日に始まる大正月と、十四・十五日を中心とする小正月との二段に分かれている。一月一日には年男が若水を汲んで年神様に供えるほか、年始や村鎮守への初詣がある。正月の料理は縁起をかついで、「末長く」という意味からうどんが一般的であり、大根・人参を入れたヌッペ汁もつくられた。ヤマイリ(山入り)の行事は仕事初めの一種で、ヤマ(平地林や屋敷林)から適当な木を伐ってきて竈や庭先で燃やし、その火で茶をわかす。しかしその行事の日は一定せず、三日、六日、十一日と家によって異なっていた。七日には七日正月と称し粥をつくった。また仕事初めの一つに鍬入りがあり、田畑に行き、松を飾って田畑をうなったという。
小正月にはナラセモチ(繭玉ともモチナラセともいう)を飾り、トリマテ(カガリビともドンドヤキともいう)と称する火祭りが行なわれてきたが、村によっては小屋を作ったところもあり、十六日は大祭日と称した。また節分も正月行事の一つで、年男が豆をまくほか、魔除けのためにヒイラギの小枝に魚の頭を挿して門口に飾った。
一方、盆行事は「ボンボンまたら(持ったら)ボンもただ三日」という諺があるように、七月十三日から十六日の三日間が中心であった。しかし一般に七月が盆月と称され、一日には新盆の家で高燈籠を立て、七日にはハカナギ(墓掃除)が行なわれているように長期間に及ぶものであった。また七日には真菰で雌雄一対の七夕馬も作られるが、農村部において星祭りとしての七夕を祝うようになったのは、近世中期以降のこととみられる。十三日が迎え盆で、墓に行き提灯に火をともして先祖を迎え、十六日の送り盆には家で提灯に火をつけ、先祖の霊を墓に送っていった。家に迎えた先祖の霊は盆棚に祀るが、それには線香・萩・水のほか、ダンゴやうどん、野菜類が供えられる。なかでも注目される点は、十五日にノマワリ(野回り)と称して、田畑に行き、稲穂、野菜類をとってきて仏に供えることで、盆行事が先祖の祭りという性格にとどまらず、農作物の収穫祭としての性格を併せもっていたことを示すものである。
Ⅴ-14図 七夕馬
Ⅴ-15図 マユダマ
このほか、盆行事では檀那寺の僧侶が棚経にまわることや、盆踊り(マンドウ 若衆踊り)を催す村もあった。蔵持では七月九日が等岳院の観音の命日であり、若い衆が太鼓で音頭をとり、「のろばかうた」「じゅうしち」「やしき節」などの歌にあわせて、盆踊りをしたと伝えている。