出産は女性にとって最も重大な出来事であり、近世期の出産技術では、難産のため死亡した女性もあり、幼児の死亡も少なくなかった。そのため、女性にとって安産と赤子の無事を祈願することが関心事であり、子安観音を祀ったり、真壁の雨引観音に参詣したほか、女人講である十七夜待においても そうした信仰内容が大きな比重を占めてきた。また妊娠した五か月目の犬の日に腹帯をまくことも普及しており、その信仰は産が軽いという犬信仰に由来するもので、難産で犬が死んだ場合には、女人講の女性たちが犬供養をした。
出産には普段寝室として使用していた納戸があてられ、出産は座産であった。ゴザン(後産で胎盤のこと)は床下や墓に埋められ、ヘソの緒は取っておくものであったという。産婦は二一日目まで、不自由な生活を強いられる場合が少なくはなく、それが産後の養生のためという以上に、俗信にもとづくものが多く、食事にしても多くの食物が体に悪いといって禁止されていた。
生後の儀礼は、主として赤児の無事な成長を願うことに中心がおかれており、ミツメ(三日祝ともいう、産後三日目)、オヒチヤ(七日目)、宮参り(二一日目)、クイゾメ(女児が一〇〇日目、男児が一一〇日目)などの行事が行なわれ、ミツメやお七夜、宮参りなどには近親者などを招いて祝がなされてきた。また産後七日目までにオボタテと称する産見舞があり、さらには初正月・初節供・初誕生、七歳の十一月十五日にはヒモトキ・オビトキと呼ぶ行事も行なわれてきた。