檀家と檀那寺との関係を記録したものが宗門改帳である。豊臣秀吉がバテレン追放令を出して以来、キリスト教禁止政策は厳しさを増し、江戸期に入っても幕府や諸大名は住民の宗旨を調べて、キリスト教徒を摘発した。この結果作られた帳簿が宗門改帳である。各村の家ごとの構成員全員を書き出し、檀那寺を調べ、家の当主ごと(あるいは人ごとに)に実印を押させ、寺がそれを証明するという形式をとっていたので、当時にあっては戸籍台帳の役割を果した。ほとんどの藩が、この宗門改帳の形式で領民を把握した。このため江戸期の人びとはいずれかの寺院の檀家にならなければ、戸籍台帳ともいうべき宗門改帳にも記載されないことになる。たとえ記載されても菩提寺の住職の判が押されなければ、その身分が保障されないことになったのである。