秋葉麗水

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鴻野山の秋葉(格)家の邸内に芭蕉の句碑が建っている。この碑は天保三年(一八三二)二月、俳聖芭蕉を偲んで、格非の父秋葉麗水(昭明)によって建てられたもので、碑面には、
 
    蓬萊(ほうらい)耳幾可波(にきかは)やい勢能者都堂よ利(のはつたより)
 
の句が刻されている。芭蕉が元禄七年江戸の芭蕉庵で詠じたと称せられる句である。裏面には、麗水の句
 
    世の春越(を)柳耳多登(たと)へ人農(の)路
 
がある。
 鴻野山秋葉家墓地には、麗水の辞世の句
 
    立むかふ人ものいはず初時雨
 
という格調高い句が残されている。句作では相当の腕前であったもののようである。
 安政二年(一八五五)歿した真壁郡黒子村辻(現関城町)の俳人井上麗水追悼句集には、
 
    雪の日や杖に有丈(たけ)いるちから              麗水
 
があり、「許我のわたり」句集には、
 
    紫陽花(あじさい)の葉を押のけて咲にけり             麗水
 
の句が残されている。
 

Ⅵ-3図 芭蕉句碑(秋葉格氏邸内)