蓬萊(ほうらい)耳幾可波(にきかは)やい勢能者都堂よ利(のはつたより)
の句が刻されている。芭蕉が元禄七年江戸の芭蕉庵で詠じたと称せられる句である。裏面には、麗水の句
世の春越(を)柳耳多登(たと)へ人農(の)路
がある。
鴻野山秋葉家墓地には、麗水の辞世の句
立むかふ人ものいはず初時雨
という格調高い句が残されている。句作では相当の腕前であったもののようである。
安政二年(一八五五)歿した真壁郡黒子村辻(現関城町)の俳人井上麗水追悼句集には、
雪の日や杖に有丈(たけ)いるちから 麗水
があり、「許我のわたり」句集には、
紫陽花(あじさい)の葉を押のけて咲にけり 麗水
の句が残されている。
Ⅵ-3図 芭蕉句碑(秋葉格氏邸内)