攘夷から開国へ

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桜田門外の変から半年たった万延元年八月十五日、徳川斉昭は波瀾にとんだ生涯を六一歳でとじる。時代はまさに尊攘熱のピークを迎え、開港場近くでは「異人斬り」が横行し、政局は混迷を深める。そんななか、文久三年(一八六三)七月の薩英戦争での薩摩藩の敗北、元治元年(一八六四)八月の米、英、仏、蘭連合艦隊下関砲撃事件での長州藩の惨敗は、両藩に狭量な攘夷論の無謀さを悟らせると同時に、皮肉にもイギリスへの接近を促した。こうして時代の主流は、欧米列強の圧倒的力の優位認識のもと、偏狭な攘夷論から策略的和親へ、そして武力討幕へと流れを変えはじめた。しかし、この時代の先見は水戸藩にはあたらなかった。