会計方よりの触れ

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四月十七日夜、東海道先鋒総督府付会計方よりの触れを伝える飛脚が石下に到着した。その書面には、官軍の兵食賄向として村高一〇〇石に付き白米三俵、金三両を二十九日までに品川宿まで届けること、遠方の村で正米の運送に難渋する場合には米の時価相場をもって金納してもよいこと、のちに朝廷から相当の歩合をもって返済がなされる予定であることが記してあった。
 石下組合村の代表達は、大至急「雨中は勿論、たとえ夜に入り候共新石下村住吉屋栄次郎方」へ参集しては、何度かその対応を検討した。その結果、会計方からの米穀調達については、「時節柄何分調達難相成候間、日延歎願」することとなった。伊古立村(現千代川村)名主孫兵衛と上石下村組頭与右衛門の二人は、閏四月三日に歎願のために出府するが、よい返事は得られなかった(新井清家文書)。
 

Ⅷ-9図 住吉屋旅館の鑑札(左・表,右・裏)