総体として、前項で分析の対象とした「明治七年府県物産表」に掲げられた産物は、多品目にわたっている。千葉県に掲出された品目数は、ほぼ六〇〇、新治県で四三〇、茨城県でも四〇〇に達する。この数字は、物産総額にほぼ対応し、千葉県で九八〇万円、新治県で六六〇万円、茨城県でずっと低く三五〇万円となっている。
物産品目の多さは、商品の多様性と必ずしも一致するものではない。そのよい例を園蔬類においてみることができる。Ⅰ-3表によれば、園蔬類価額の合計が物産総額に占める割合は、千葉県で最も高く(三・四%)、茨城県(二・六%)、新治県(一・八%)の順になっている。園芸蔬菜類といえば、売り物になる作目が当然予想されるところである。
第Ⅰ-4表は、千葉、新治、茨城各県において園蔬作物として計出された作目の産額のうち上位一〇品目をみたものである。作目総数は千葉県で四三、新治県で三四、茨城県で三八の多きを数える。また上位一〇品目の産額の合計が園蔬作物総計に占める比率は、千葉県九五%、新治県八九%、茨城県九二%であり、作目の多い反面、その産額は少数の作目への集中度が高いことが、著しい特徴であるといえる。
Ⅰ-4表 県別園蔬作物上位10品目 |
順位 | 千 葉 県 | 新 治 県 | 茨 城 県 | ||||||
作 物 名 | 産 額 | 構成比 | 作 物 名 | 産 額 | 構成比 | 作 物 名 | 産 額 | 構成比 | |
1 | 胡蘿蔔(にんじん) | 円 89 773 | % 27.4 | 蘿蔔(だいこん) | 円 21 507 | % 17.9 | 蘿蔔(だいこん) | 円 23 801 | % 25.6 |
2 | 蕃薯(さつまいも) | 85 648 | 25.8 | 里芋(さといも) | 19 631 | 16.3 | 芋(さといも) | 19 801 | 21.6 |
3 | 里芋(さといも) | 45 391 | 13.7 | 蕃薯(さつまいも) | 16 987 | 14.1 | 甘藷(さつまいも) | 11 985 | 13.1 |
4 | 蘿蔔(だいこん) | 28 566 | 8.6 | 薩摩芋( 〃 ) | 15 908 | 13.2 | 茄子(な す) | 9 159 | 10.0 |
5 | 菜類 | 16 105 | 4.9 | 茄子(な す) | 11 174 | 9.3 | 生茶葉 | 6 942 | 7.6 |
6 | 蓮根(れんこん) | 12 931 | 3.9 | 牛旁(ごぼう) | 7 220 | 6.0 | 牛旁(ごぼう) | 3 795 | 4.1 |
7 | 茄子(な す) | 11 903 | 3.6 | 西瓜(すいか) | 5 168 | 4.3 | 胡蘿蔔(にんじん) | 3 317 | 3.6 |
8 | 甘藷(かんしょ) | 9 860 | 3.0 | 胡蘿蔔(にんじん) | 4 414 | 3.7 | 菎蒻玉(こんにゃく) | 2 154 | 2.3 |
9 | 牛旁(ごぼう) | 7 203 | 2.2 | 甜瓜(まくわうり) | 3 563 | 3.0 | 胡瓜(きゅうり) | 2 000 | 2.2 |
10 | 甜瓜(まくわうり) | 4 853 | 1.5 | 菜類 | 2 441 | 2.0 | 葱(ねぎ) | 1 899 | 2.1 |
個々の作目についていえば、茨城県において五位の生茶葉、八位の菎蒻玉が最も注目すべき作目である。生茶葉については、保内郷、古内など、旧幕以来の製茶地帯が想起される。千葉県の生茶葉産額は一三三二円で一六位、構成比も〇・四%と低い。新治県では八六円、二五位で、わずか〇・〇七%を占めるにすぎない。
これら工芸作物を除けば、上位一〇位までを占めるほとんどの作物が、三県に共通するところで、千葉のれんこん、新治のすいか、茨城のきゅうり、ねぎの四品目だけが共通していない。
上位を占める作目群を全国についてみれば、さつまいもとだいこんが上位を競い、さといも、なすがこれにつづく。園芸蔬菜類においてだいこんの占める地位の異常な高さ(全国の園蔬類総額の二三%)は、全国のいくつかの地域において、いちおう商品として生産されていたことの証ではあろう。しかし、茨城県において二六%を占めるだいこんの産額二万四〇〇〇円は、全国三府六〇県の総額の〇・九%に満たないところからすれば、ここでのだいこんが、商品として、広汎に生産されていたとはいい難いのではなかろうか。ごく限定された局地的な商品作目にすぎなかったとみるべきであろう。
Ⅰ-4表にみられるような作目は、生茶葉、菎蒻玉を除けば、どれをとっても農家の食卓に供せられるものである。また、物産表が計出する園蔬類には、山うど、じゅんさい、くわいなど、季節を彩る作物というよりは、採取物ともいうべきものまで含まれている。作目の多様性は、実は販売を目的として作付けられたものでなく、自家消費に向けられるものの反映にすぎなかったとみるほうが合理的である。したがって、さきに地域の特性の濃い作目とした菎蒻玉にしても、千葉、新治の両県において、収穫がなかったというわけではなく、千葉県で一〇四円(二五位、園蔬類総産額の〇・〇三%)、新治県でも六六円(二位、同じく〇・〇五%)の産額を示している。おそらくこれらは、乾燥粉に加工され商品として遠隔地に送りつけられるものではなく、秋の収穫祭に摺り下して板こんにゃくに加工し、馳走のメニューに加えられるものであったろう。
「明治七年府県物産表」の語るところでは、明治維新を経て間もない石下町域の村むらを含む千葉県において、農業生産が産業の圧倒的部分を占め、僅かに醸造業が工業生産を代表していた。そして、多彩な農作物群が、自家消費の用に供されていたことも語られている。したがって、物産表は旧幕以来の自給的農業の姿を映しだしていたといえる。