農民組合の簇生

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終戦直後とりわけ昭和二十一年(一九四六)から昭和二十二年前半にかけて、農民組合の組織化には急速に進んだ。茨城県の調査によれば、昭和二十一年六月に組合数一二七、組合員数一万九〇七九人であったものが、その翌年五月末には三一九組合、九万二二人に増加している(昭和二十二年五月末現在「茨城県下農民組合一覧」、『茨城県史料農地改革編』所収)。二・五倍に増加した組合数は、県下市町村数の八七%、九倍に増加した組合員数は、農家戸数の四七%にあたる。これらのうち日農(日本農民組合)の傘下にあるものは一八〇組合、四万八一八四人である。
 県下農民組合の上級組織としては、日農常東農民組合(代表者 衆議院議員山口武秀)と常総地区農民組合(代表者 同菊池重作)が群を抜いている。これらは、さきの調査によれば、「いずれも日農県連の下部組織にしてその末端組織として日農県連の町村における各支部があり、日農県連の町村における各支部があり、日農県連を二分して常東、常総の組織がありいずれも系統色彩はまったく同じである」とある。町域の県民組合は、後述するように、常総地区農民組合の傘下に入っていた。
 日農系の組合の運動は活潑であり、戦闘的でもあった。その活動目標はつぎのようなものである。
 
  一 農地改革の推進
  二 耕作権の擁護
  三 地主の土地取上げ、地主保有米取得反対
  四 役場、農業会、その他団体の不正摘発
  五 不当課税の是正
  六 強権発動反対運動
 
 右のように地主と直接対決し、民主化を推進しようとする意図が読みとれる。他方日農不参加組合は、つぎにみられるように、中小地主までとりこんだ保守的な色彩をもっていた。
 
  一 農地改革の推進
  二 食糧供出割当の民主化
  三 農民道の昻揚
  四 農村の民主化、文化農村の建設
  五 農民の福利増進を基調とせる供米制度の民主的改善
 
 昭和二十二年一月に調査された農民組合台帳に、町域では二つの農民組合にかんする報告がみられる。以下これを要約する。
 
 日農飯沼支部
  設立   昭和二十一年九月二十四日
  組合員数 四〇〇
  組織地域 村内一円
  構成員  地主、自、小作
  創立に至るまでの経過
    隣村ニ農組ノ結成ヲ見ルヤ元大衆党員野本甫夫が本村ニモ此種組合ヲ結成スベク上林修平(代表者)ト
    計リ村内ノ小作人ニ対シ第一回ノ準備会ヲ開キ其ノ組合員ヲ獲得シ菊池重作ヲ招キ支部結成ニ至ル
  組合の勢力
    現在ノ組合員ハ主トシテ小作人が大多数ナルモ今タ勢力弱ク……
  組合の維持法
    基金トシテ加入者八十円ヲ組合ニ納メ本部へ五、支部へ五、以テ基金トス
  組合員結束の程度
    協調的ナラズ、村内ヨリ一部有志等ニ特ニ悪評アリ
  活動状況
    現在活潑ナル活動状況見ラレザルモ農民組合員ヨリ農業会及役場書記等ヲ構成スベク運動中ナリ
  組合員獲得方法
    組合ニ加入セバ物資ノ配給多クナル又ハ小作関係、土地関係ガ非常ニ有利ニナル事ヲ語リ組合加入ニ
    努力中
  将来の発展
    現在ノ人員ヲ得ル迄ハ順調ナリシモ今後ハ地主及自作級ノ加入ガ進マヌ限リ発展ハ困難ト見ラレル
 
 日農岡田支部
  設立   昭和二十一年十一月十五日
  組合員数 一二〇
  組織地域 岡田村の一部
  構成員  全部小作人
  創立に至るまでの経過
    一部地主が小作料物納要求ニ端ヲ発シ地主ノ土地取上問題ト併セ組合長大里政吉ガ社会党菊地重作ヲ
    招キ之ガ指導ノ元ニ結成セラル
  組合の勢力
    小作人ヲ中心トシテノ勢力ニシテ村全般ヨリ見テ微々タルモノナリ
  組合の維持法(飯沼支部に同じ)
    趣旨、宣言、綱領 地主ノ土地開放、自作農ノ創設、明朗村政ノ建設
  組合員結束の程度
    結束ウスシ
  活動状況
    現在飯沼村支部長上林修平ト連絡シ農機具、生活必需品等ノ購入ヲ口実ニシテ動キツヽアリ、一面地
    主ノ取上等ニツイテモ活動中ナリ
  組合員獲得方法
    現在農家最必需品タル塩ノ共同購入ニツイテ働キツヽアリ、外ニ農機具ノ安価販売等ヲ計画中
  将来ノ発展
    組合ノ発展ハ事実トスルモ岡田村ノ場合ハ二ツニ分離セラルガ感アリ
 
 農民組合台帳の調査は、このように、きわめて主観的な調査である。とくに組合員の結束の程度、活動の状況、将来の発展などについては、調査員の恣意的な見解が記されたとみてよい。昭和二十一年五月の調査によれば、岡田支部の組合員は一五〇名に、飯沼支部では六一二名に増加している。
 五月の調査では、町域の川東の町村でも、農民組合が組織されていたことがわかる。
 
 日農玉村支部
  組合員数 二八〇
  主なる事業の種類 小作料団体交渉
 石下町農民同志会
  組合員数 四〇〇
  主なる事業の種類 供出の民主化
 日農豊田村支部
  組合員数 一七三
  主なる事業の推進 農地改革推進
 
 ここでみられるとおり、石下町農民同志会を除けば、いずれも日農の下部組織である。戦前茨城県における小作争議の発生件数は関東一都六県中第三位であり、しかも大正期のそれは最少の件数にすぎない。これまでみてきたように、高い小作地率と相まって、小作地面積もひとり茨城県は昭和十年には一一万一〇〇〇町歩に達し、他を大きく抜いているのであるから、小作農民に対する地主制の重圧はきびしかったといえる。したがって農民組合に結集した多くの小作、自小作農民にとって、農地制度の改革すなわち「土地を働く農民へ」という運動の目標は切実であった。
 

Ⅴ-3図 農地解放感謝祭(昭和24年,吉川昭一氏提供)