義務教育の施設と幼児教育の充実

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大都会においては高層建築が林立されていて、学校建築などは目立つ存在ではないが、小都市または村落地帯では、最近の近代的な学校建築はやはりそれと知れる建築である。特に戦後の附属施設としての体育館とプール等の総合体としての学校は、戦前では想像もできなかった偉容という外はない。
 昭和二十二年(一九四七)新制中学校が発足するに際し、困難な財政下において中学校の独立校舎建築という事業は、当時の理事者達にとっては誠に頭の痛い事であった。しかしさまざまの創意と工夫で万難を排し、独立校舎が建てられたのは昭和二十四年(一九四九)の石下中学をはじめとして、翌二十五年には、豊田、玉、岡田、飯沼の各地に一応の完成をみた。
 のち、昭和三十年頃から経済状況も好転してきたし、一時凌ぎの新制中学校舎も教科課程に不適合等のこともあって、徐々に永久校舎建築の議が話題に上るようになった。しかし統合中学としての石下町立石下中学校が竣工したのは昭和四十二年(一九六七)三月、西中学校が竣工したのは四十五年三月である。
 ついで四十六年(一九七一)三月に岡田小、四十八年九月に玉小、五十一年九月に飯沼小、五十三年九月に石下小、五十七年に豊田小の永久校舎が竣工して全町の学校が完成した。
 体育館は、四十六年(一九七一)四月に石下中、四十七年三月に西中、五十二年四月に岡田小、豊田小、五十三年三月に玉小、飯沼小、五十五年四月に石下小が竣工した。
 プールは、四十四年(一九六九)八月に石下中、四十六年に石下小、飯沼小、西中に、四十七年に豊田小、岡田小に、五十年に玉小に竣工し、校地移転等の関係で、六十一年に石下小・飯沼小に新しくプールが完成した。
 特殊施設としては西中の技術棟(昭和四十七年)、柔剣道場(昭和五十八年)、岡田小の食堂増築(昭和六十年)等があげられる。千代川村と合同での給食センターは昭和四十五年四月の設立である。
 

Ⅶ-22図 旧石下小学校校門前の江連用水と橋