昭和二十二年(一九四七)公布の「教育基本法」の中で、社会教育の必要と重要性は成文化されていたが、経済、思想、社会各面にわたる混乱によって低迷を続けていた。しかしおいおい世情が安定し、昭和二十六年(一九五一)社会教育法が改正され、専門的教育公務員として社会教育主事をおくことになり、さらに昭和三十四年(一九五九)人口一万人以上の市町村には社会教育主事を置くことが義務化されるなど、法制面でも整備され、また、生活様式の変化によって余暇は拡大され、併せて学習要求の高揚等が相乗されて、社会教育に対する関心はにわかに高まってきた。
社会教育の指導体制
社会教育の指導統制は、概ね教育委員会の社会教育課で担当している。社会教育課は昭和五十七年(一九八二)から中央公民館に移転し、公民館運営と一体となって指導をしている。
教育委員会の諮門機関であり助言の任務を持つ社会教育委員会は、各界代表の一五名の委員で構成され、公民館運営委員を兼ねて随時開催して助言を行なっている。
町民学習の場
社会教育指導の場及び町民学習の場としては、計画的に次のように整備されて万全に近い。
中央公民館(本石下) 昭和三十九年三月開館
東野原田園都市センター(東野原) 昭和四十四年八月完成
町民文化センター(杉山) 昭和四十八年五月完成
西公民館(鴻野山) 昭和五十三年三月完成
民俗資料館(杉山) 昭和五十三年十一月開館
農業啓発センター(豊田) 昭和五十六年四月完成
石下町農村婦人の家(原宿) 昭和五十八年三月完成
その他各地区公民館、集落センター等がある。
体育関係
石下町民体育館(新石下) 昭和五十二年十一月完成
石下町勤労者体育センター 昭和五十四年六月供用開始
自然運動公園(鬼怒河川敷) 昭和五十二年十一月完成
町民野球場(豊田) 昭和五十八年三月完成
婦人学級
「現代婦人にふさわしい知識や技術を身につけ日常生活を豊かにし地域婦人の相互連帯意識の昻揚」をめざし、東西両地区に分かれて月一回開かれている。講師は、社会教育担当職員、県職員、石下医師会派遣講師、または保健所職員、町当局者または町内、近隣等の有識者による講話、文学散歩、季節料理の実技講習等、多面の教養と技術向上をめざし着々効果をあげている。
老人大学
老人大学寿学級は、いわゆる高齢者学級で、生涯教育の範たるもの。昭和六十年(一九八五)十一月六日には、石下町老人クラブ連合会結成二〇周年記念大会が開かれた。昭和四十一年(一九六六)四月、二六単位の老人クラブ一六〇〇人が結集して作られたもので、現在三六単位二〇〇〇余の会員を擁し、毎月一回中央公民館に集合し、政治、経済、教育、文学等各面にわたる研修を重ね、併せて娯楽面をとり入れ、有意義かつ楽しい一日をおくっている。統制のとれた自主的運営により益々拡大の傾向にある。
文化教室
中央公民館で開催される各種文化教室もまた公民館のユニークな活動として好評を博している。「ちぎり絵教室」「手編教室」「墨絵教室」「籐教室」「蠟けつ染教室」「書道教室」「木彫り教室」等多彩な活動をしている。最近、十一月中旬挙行される小中学生の学芸展覧会場の一角に、それらを展示して作品公開をしているが、学芸展に一つの厚みを増したものとして好評である。
民俗資料館
昭和五十三年十一月開館した「民俗資料館」は、六十年(一九八五)三月現在次のような資料が整備されている。考古歴史資料(八四九)、小田家遺品(一九二)、長塚節関係(二七四)、行政資料(二五二)、民俗資料(三六七六)、総計五八六六点。見学者も五十八年には七〇七四人、五十九年には五九九二人を数え、最近は他市町村の見学者が増加の傾向にある。特別企画の「人形展」「浮世絵展」「教科書展」等も好評を得た。
Ⅶ-23図 石下町民俗資料館
家庭教育学級
小中学校と共催的色あいの濃い社会教育関係に「家庭教育学級」と「PTA母親文庫」がある。教育委員会と学校とPTAとの緊密な連繫のもとにそれぞれ効果をあげている。最近PTAの文化活動の一環として母親文庫活動が活発になったことは好ましい傾向である。先に石下小の母親文庫活動がその筋からの表彰を受け、昭和六十年には飯沼小学校が表彰された。その他の地区でもそれぞれ活動している。
青年団活動
終戦後二、三年経過したころから、昭和二十八年(一九五三)勤労青年の学習機関として青年学級振興法が公布され、各町村に青年学級が開設されたころまでは、旧町村単位にかなり活発な青年団活動が展開された。その後、進学率の上昇、高度経済成長期以降、急速に青年の都市流入が多くなったこと、工場労働者化等の理由で、青年団は解体され活動は休止状態になった。
現在は、多く団結と活動が職域化し、生産活動と密着したものとなり、農業青年部、商工青年部、織協青年部等に分化され職業別のグループ活動が主体となった。
石下町商工会青年部は昭和四十六年(一九七一)五月結成、前後して織協青年部も結成され、各独自の計画で活動している。石下町農業青年部は昭和五十年七月発足した。五十一年には五二人の部員を擁し、航空防除農薬積込作業の請負、意見発表会、部員生産野菜の朝市開催、視察研修等を計画し実施した。最近活動も国際化し、六十一年にはオイスの国際青年交流に参加、一月に秋葉森雄他三名が参加して台湾へ、十一月には台湾農村青年四名が来町、民泊四日の研修を終えて帰台した。
公民館図書室
最近の蔵書数、中央公民館に約六二〇〇冊、西公民館に一〇〇冊。昭和五十九年(一九八四)における貸出冊数二七五九、利用者八一九人、延人数一四四六人。昭和五十年利用冊数五一六冊、利用人員三四五人(「石下統計 No.19」)で、比較すれば増加の傾向にあることは確かであるが、これはさびしい計数である。
北海道北見市隣接の訓子府町は人口七六〇〇人で、町立図書館開館二年目で蔵書数三二〇〇〇冊、町民一人一か月一冊の割で貸出しているという。
体育協会他
昭和四十九年(一九七四)四月結成された体育協会は、現在石下町芸術文化協会に所属しているが、体育全般を総括し、各部の自主活動を促進し、大いなる成果をあげている。
バレーボール大会、バレー教室、社会人、学童野球大会、柔剣道教室と同大会、歩こう会、水泳教室、スキー教室、テニス大会、卓球大会、ソフトボール大会、空手大会、輪投げ大会、サッカー大会、バドミントン大会、バスケット、クロッケー大会等、各層各様にわたる指導と大会行事を行なっている。施設の充実、指導陣の強化とち密な計画で大きな成果をあげている。
その他
民謡、日舞その他のグループも独自の計画と運営で十分の効果をあげている。なお社会教育の外郭団体として「子供会育成連合会」「PTA連合協議会」「青少年育成町民会議」等の教育支援団体の側面的援助も忘れてはなるまい。