昭和二十二年(一九四七)十一月九日、結城郡南部「あしび社」支部が結成された。俳句雑誌『馬酔木』は、昭和三年(一九二八)七月水原秋桜子を主宰者として発刊された。句誌『ホトトギス』の瑣末化された客観写生俳句にあきたらず、俳句に作者の主観をこめることを志した俳句の雑誌である。
支部発会式は、水原秋桜子、大津柳芽、荒川暁浪らを講師として招き、石下小学校で開催された。席上、生井松南を会長に、副会長に藤沢清峰、小原紋也が推挙された。以来、石下の俳壇は、生井松南を中心として伝統の灯を燃しつづけている。現在石下の俳句人口は相当数にのぼるであろうが、町内では「石下町報」、「農協だより」等が文芸欄を設けて発表の場を提供している。