振興計画の策定へ

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昭和二十九年十月一日新しい石下町は一町四か村を合併して、人口二万一五〇〇余人の町として誕生した。いずれも農業を主とする町村であったから、町づくりの基本を農業に置き、それに調和する商工業の発達を目ざすこととなった。新しい石下町の成立に当って、「新財政五ケ年計画」として総額三億三四八〇万二〇〇〇円の予算が組まれ、主な事業として役場庁舎の新築、消防施設強化、道路橋梁等の整備、小・中学校の新築整備、衛生施設整備、食糧増産対策等が計画された。
 このような事業計画は年次を逐って具体化されていった。昭和三十年には新石下に農業改良普及所が設けられ、同三十四年には本石下に繊維工業指導所石下支所が設置され、同三十六年に新石下に石下土木事務所の新庁舎が落成した。そして同三十七年には新石下に食糧事務所結城支所が誘致されるなど、諸機関の設置などと相まって新しい町への変化がみられた。昭和三十五年には新石下に石下町役場新庁舎が建設され、その前後には町内の有線放送も開始された。
 

Ⅷ-1図 石下町役場

 町当局はさらに新しい時代への転換をはかった。昭和三十七年には時代の趨勢を見越して、新石下に町営の自動車学校を設置した。全国的にみても公営の施設は珍しく、現在までもその経営が続けられているのは注目されよう。また同年には町で塵芥収集を開始し、住みよい環境づくりが進められた。翌三十八年には工場誘致がはじまり、従来からの地場産業である紬織物業とともに、工業化への対応もはじまった。
 新しい石下町が成立してから、五か年計画をもってすすめてきた町づくりの計画は、昭和四十一年から新しい段階に入った。それは同年十一月石下町が田園都市実施地区に指定され、建設一〇か年計画が立てられたからである。以後新町村建設計画は一〇年計画で推進されることになる。
 町の総合振興計画が立てられ、その計画によって町政が進められるのは、第一次の石下町総合振興計画が策定された昭和五十年以降のことである。その振興計画では計画策定の目的を次のように述べている。
 
   本町は昭和四十一年より明るく豊かな町づくりを目標に田園都市計画をすすめてきたが、社会経済の急
  速な発展に伴い町の構造は大きく変化しつゝあるなかで、行政需要も年々増大し内容も高度化が要請され
  ている。
 
 これらの現状を的確に把握し、時代に対応しうる町づくりを積極的に推進しなければならない。このため町民の福祉の充実と町の総合的発展の実現をはかるため、長期的展望にたった行政を行なうための計画が必要とされている。
 したがって、昭和六十年度を目標年次とし、町民が健康で文化的な生活ができるよう、自然環境保全と農村と都市が調和のとれた「豊かで活力のある町」の実現のため、計画性のある行政を遂行するための指針として策定するものである。
 第一次振興計画では石下町の将来像を策定するに当って、「豊かな活力ある町づくりを目ざし、生活圏の整備を基本として、基幹開発事業を積極的に推進し、産業の高度生産と就業の機会を促し、生活面に於ては快適な生活環境の確保を図り、農村と都市との調和ある発展を基本目的とする」と定め、昭和四十一年以来の町政の継承・発展を強調し、さらに町のおかれている環境について、次のように規定した。
 
  本町は鬼怒川を中心に東西地域とも地勢等が異なり、東部地域は本町の中心市街地を含む平担地で、農地
  の八〇%が水田である。西部地域は関東ローム層の赤土が大部分を占める丘陵地帯で畑、山林等が多い。
  このような自然環境のもとに本町は古くより結城紬を特産物とし、また県西地域の主要な農業地帯として
  発展してきたが、社会経済の著しい進展と今後、常磐自動車道、常総バイパス等の建設、関東鉄道の複線
  化等基幹交通体系の整備促進により、都心への時間的距離の短縮、筑波研究学園都市の建設の影響等によ
  り地域構造は大きく変ぼうしつゝある。本町の人口も近年増加の傾向にあり就業構造の変化がすすむなか
  で、脱農、核家族化が顕著になりつゝある。
 
 町の将来像を考える場合まず第一に問題となるのは人口問題である。石下町の人口は昭和二十九年の町村合併以後同四十三年までは減少傾向を示した。それは合併当時純農村であったが、社会情勢の変化とともに次第に農業の離散現象がみられ、しかも町域に離農した労働力を受け入れる産業がなかったから、都市への人口流出がみられたのである。だがこの傾向も昭和四十三年を境として変化してきた。人口も微増ではあるが増加傾向を示し、昭和五十年には一万九二二二人を数えた。振興計画ではこの傾向が続くものと予測し、同五十五年に二万一〇〇〇人、目標年次の六十年を二万四五〇〇人と考えた。これに基づいて産業構造も「兼業農家の増加により第一次産業就業者が減少し、第二、第三次産業就業者が増加するもの」と予測した。この結果昭和五十年の産業別人口が、第一次産業三六八五人、第二次産業三〇六五人、第三次産業三〇〇〇人であるのに対し、同六十年には第一次産業三〇〇〇人、第二次産業五三〇〇人、第三次産業五四〇〇人という数字になると考えた。
 以上のような人口動態を前提として、振興政策の目標達成のための施策を、大略次のように定めた。
 
  1基礎的条件を整える為の施策
   ○土地利用計画
    農業用地区域二一四二ヘクタールについての保全整備をすすめ、ほかに住居地域、商業地域、工業地
    域、公園緑地地域を区画する
   ○都市計画事業
    用途地域の指定に基づいて市街地発展を目的とし、土地区画整理事業を計画的に推進する。
   ○交通体系の整備
    道路――常総バイパスの早期建設を促進する
    鉄道――常総線の整備促進と機能的なバス路線の確保
   ○水資源の確保
    霞ケ浦用水に資源を求め、同用水事業の導入を促進する
   ○災害対策
    地域防災計画、消防計画をすすめる
   ○交通安全
  2生活基盤を整える為の施策
   ○上下水道の整備
   ○ごみ、し尿処理施設、火葬場の整備
   ○公園、緑地の整備確保
   ○住宅の確保
  3福祉の向上と健康を守るための施策
   ○老人福祉 ○児童福祉 ○母子福祉 ○心身障害者福祉 ○生活保護対策
   ○健康管理
   ○公害対策
  4教育と文化を高めるための施策
   ○学校教育 ○学校給食 ○幼児教育 ○社会教育 ○社会体育
   ○文化財保護
  5産業を振興するための施策
   ○農業
    農業の安定と発展を図るため近郊農業地帯としての特色を生かし、生活基盤の整備に努めるための施
    策を促進する――農業後継者の育成、農業生産基盤の整備、農業用水の確保、農業生産物の流通対策、
    畜産業、農業金融制度の活用、農業団体の充実、生活基盤の整備、生産組織及び専業農家の育成
   ○工業
    無秩序な工場立地による生活環境の悪化を防止し、地場産業を中心とする既存の企業も、新時代に対
    応できるよう体質を整え、生産性の向上をはかる。
   ○商業
    商店街の整備に努め、店舗の近代化、経営の合理化、駐車場の整備など消費者のニーズに対応できる
    ような商業構造改善に努める。
   ○観光
    史跡公園、文化財史跡等の整備
  6行財政を合理化するための施策
   ○行政組織
    機構整備、人事管理
   ○健全な財政運営
    町税等自主財源の確保に努めるとともに国、県補助金等の財源を有効に活用し、地方債の計画的な運
    用を図る
   ○広域行政 ○広報活動――広報いしげ(月一回)、お知らせ家庭版(月二回)、有線放送の利用(週一回)