蹴球部が1909(明治42)年11月に「ラグビーフットボール」というわが国初の解説書を発行した。ラグビーが競技として成立する以前の歴史に始まり、
日本での10年の歩みから技術、ルール、用語、主将論など、すべてを網羅した当時としては出色の専門書といえる。発刊の年度は第6代主将宮沢恒治2期目のとき。おそらく宮沢主将を中心に蹴球部員が手分けをして編纂したものとおもわれるが、第三章「
日本に於けるラグビーの歴史」第一回対外戦の項で記されているのが、小題の「YOU EMPLOY JUDO(汝、柔道を用いよ)!!」である。
記述はこのユニークな発言を「FBクラークから発せられた」としているが、何か根拠があったのだろうか。解説書の発刊は第1回YC&AC戦から9年後のことである。当然、宮沢主将ら編纂に当たった蹴球部員たちがこの歴史的な対戦を直接取材できるはずがない。さらに文章は「第1回の選手はことごとく柔道家なりしなり」とつづいていく。しかし、慶應義塾学報などで調べてみると、対戦メンバー13人のうち体育会柔道部に所属していたとみられるのは、松岡正男、吉武吉雄、濱田精蔵(兼端艇)、海江田平八郎、塩田賢次郎、佐野甚之助ら6人。山崎不二雄、平野一郎らは体育会端艇部員だった。このように①必ずしも全員が柔道部員ではなかった。②「球のいくところ柔道の野試合これに伴えり」についても、意図的に柔道をゲームに関連づけようとする作為がうかがえる。③最後に「横浜アドヴァタイサ紙曰く…」と記している──点などの諸点から、この試合を取材した英字新聞アドヴァタイサ紙からの引用と考えるほうがより妥当といえるだろう。それにしても
日本古来の柔道を外来スポーツの「走る格闘技」ラグビーに結びつけるところは、外国人的発想であり、また当時の時代背景を映し出していておもしろい。
ただクラーク書簡に同封されていた同じ英字紙のジャパン・ギャゼットの切り抜きには、こうした類いの表現はまったく見あたらない。