《協会成立の経緯と背景》


 
大正天皇崩御 1926年12月25日

 関東、西部両地域協会の成立をもって日本ラグビー前史の締め括りとした。しかし、ラグビー創始の先達たちから日本ラグビーの普遍化を暗黙のうちに受け継いだ大正時代の第2世代は、これら地域協会設立の時点で、すでに全国を統御する機関の必要性を予見している。その第1の証しは1924(大正13)年6月20日の関東協会創立総会で発せられた設立趣意書。ここに再録してみよう。
 「ラグビー蹴球の本邦に伝えられてより既に20有余年、其の剛健勇猛にして節義秩序を失れざる競技精神はわが国民性によって純化振興せられ、今や全国に普及してまさに各種運動競技の中心たらんとす。この勢をしていよいよ盛んならしめ、ラグビー競技の健全なる発達を図らんにはまず斯界の中心たるべき統一機関の存在を必要とするは何人も疑わざるところ。すなわちわれら相謀り、全日本ラグビー蹴球協会の設立を期してここに関東ラグビー蹴球協会を組織し、もって競技の普及発展を図るべき中枢機関たらしめんとする所以なり」(原文のまま)
 そして第2のそれは「……さきに設立を見たる関東ラグビー蹴球協会の趣旨に則り茲に西部ラグビー蹴球協会を組織し、以って先ず地方的に競技の普及発達を図ると共に将来本邦斯界の統一機関たるべき全日本ラグビー蹴球協会の設立を期せんとする所以なり」(要旨)と謳った西部ラグビー蹴球協会の設立趣意書である。1年という時の経過(西部協会の設立は1925年9月)はあるにせよ、東西2つの地域統括機関が設立の時点で、そろって日本ラグビー蹴球協会の設立をその視野にとらえていることは注目すべき点といえるが、それには早い時点でひとつの提言があった。関西ラグビー倶楽部創設の中心人物だった杉本貞一が同倶楽部の廿年誌に「創始時代」と題する寄稿の中で次のように伝えている。
 「第2回東西対抗ゲーム(1921年2月11日、豊中)終了後、中ノ島の大阪ホテル(で)のミーテングの席上で私(杉本貞一)が挨拶をした時に『ラグビーも非常に発展をして来たから、日本でもユニオンを作る必要がある。而して今の中(うち)に統一して、東西協調しては如何』と云った事が、大賛成と云う事になり、寺田(治一郎)氏が郵船ビルの地下室で草案を作った。其の時に田辺(九万三)氏が福松商会の副社長として大阪に来られたので一層熱が上り、遂にラグビー協会の設立を見るに至った次第である。だから関西ラグビー倶楽部は(日本)協会の生みの親である。而して又育ての師であると云ってもよい」(原文のまま)。
 このように杉本貞一の提言が日本協会設立への第一歩となって、関東、西部両地域協会へと発展していったわけだが、ユニオン成立が現実のものとなったのは、杉本貞一の提言から時を経ること5年9ヵ月と19日。「1926年(大正15)年11月30日に東京で開かれた関東、西部両協会の理事合同会議で、目出度く多年懸案たる日本ラグビー蹴球協会(現財団法人日本ラグビーフットボール協会=以後日本協会)は成立したのである」(日本ラグビー史)。
 ところで、日本協会の成立については、過去に1926(大正15)年12月説をはじめ1927(昭和2)年、あるいは1928(昭和3)年説など出版物、あるいは執筆者によっていろんな説が活字となってきたが、自他ともに世界の権威と認める「ギネスブック・ラグビー記録編1987年版」ですら「日本協会の創立は1926年」と明記している。にもかかわらず、なぜこうした混乱が後に起こったのだろう。理由についてはいろいろ考えられるが、ここでいえることは①大正天皇の崩御(大正15年12月25日)で、翌12月26日を期して年号が「大正」から「昭和」に切り替わったこと。②昭和元年がわずか5日間で新しい年(昭和2年)に移行したこと。③天皇崩御とともに御諒闇(服喪)にはいって1926(大正15)年度後半の競技日程、外部での公的活動がすべて中止になったこと。④同時に日本協会の組織確立作業が停止したこと。⑤すでに活動していた関東協会なり西部協会の主要役員が新設の日本協会に代わって運営など必要最低限の会務処理をしていたこと。⑥日常の事務処理についても関東協会事務局(当時は事務所)員が日本協会のそれを代行する形となっていたこと…など6点があげられる。もっとも、最後の6点目については戦後も日本、関東両協会の会務を一つの事務局内で処理する協会創設当時の形式がつづいていたが、1980年代後半から1990年代にかけてワールドカップへの参加、ラグビーのオープン化と、日本ラグビーそのものの国際化とともに事務局を分離する現在の形がとられた。
 そこで注目したいのが機関誌「RUGBY FOOTBALL」(Vol.27−2 Oct.1977)掲載の「関東協会の歴史を追う」と題した関東協会広報委員会による昭和2−3年度活動報告である。報告書は前文と1年間の会務を日程にそって箇条書きながら忠実に記しているが、ここには服喪明けのシーズンの出来事、秩父宮さまとラグビーの関係…など、役員、あるいは会務実行の面で設立直後の日本協会と地域協会が事務所も含めて表裏一体の関係というより、もっと進んだ同体の関係にあったことを直接、間接に語られている。いずれにしても年度報告書にはユニオン創設時の活動について不明の点を解く記述が随所にみられるので、歴史の解明かつ伝承という意味で長文ながら原文のままを以下に転載しておいた。
【関東ラグビー蹴球協会会務報告(昭和2年5月12日~昭和3年4月27日)】
 「昭和2-3年度『会報。関東ラグビー蹴球協会』を読むと、日本協会が大正15年12月(正確には11月30日)に発足しながら活動せず昭和2年から3年にかけて、関東協会が日本協会のことを推進していることがよく分かって誠に面白い。以下昭和2年5月12日~昭和3年4月27日までの1年間の会務報告である。(原文のまま、抜粋)」
 5月12日 於時事新報楼上、定例委員会。
 1.理事選挙ヲ行ヒ下記7氏当選シ就任ス。
 井上成意、★橋本寿三郎、早川郁三郎、大槻文雄、★香山蕃、★田辺九万三、木村文一。
(注)★は日本協会理事を兼務
                                 以上
 8月8日 於丸ノ内中央亭、理事会。
 1.互選ノ結果理事長ニ田辺九万三当選就任ス。
 2.明治神宮競技会ニ代表委員トシテ橋本寿三郎ヲ選出スルコトニ決ス。
 8月26日 於ステーションホテル、理事会。
 1。明治神宮体育会ニ於ケルゲームノ種類ヲ下記ノ通リ定ム。
(イ)関東関西オールドボーイスゲーム。
(ロ)専門学校程度以上ノピックアップゲーム。
(ハ)中等学校生徒参加可能ナレバ其関東、関西ゲーム。
 2.昭和3年2月11日ニ関東関西ノピックアップチーム対抗ゲームヲ行フコトニ定ム。
(注)田辺九万三理事長は日本協会理事長(初代)も兼務。
 9月30日 於丸ノ内ホテル、理事会、兼神宮体育準備委員会。
 1.セレクションコミッティー下記ノ通リ決定。
(イ)OB組 井上成意、橋本寿三郎、田辺専ー、鶴原浩二、安楽兼道。
(ロ)大学専門校組 香山蕃、田辺九万三、滝川純三、朝桐尉ー、秋山信好、杉原雄吉。
 2.予選日取下記ノ通リ決定ス。
(イ)中等学校 第1回10月15日、第2回16日、第3回23日。
(ロ)大学OB  第1回10月16日、第2回23日。
 3.競技委員トシテ慶、早、帝、明、商、立、法ノ七大学キャプテンヲ推薦スルコトニ決定。
 4.会計役ニ杉原雄吉ヲ推薦スルコトニ決定ス。
 5.10月15日丸ノ内ホテルニ東京朝日、東京日々、時事、報知、都、国民、電通ノ七新聞通信社運動記者ヲ招キ本期スケジュール及神宮体育会計画発表ヲナスコトニ決定。
 10月19日 於丸ノ内ホテル、セレクションコンミッティー。
 1.甲、OB組
FW
 滝川(慶)岡本(早)清瀬(帝)益田(慶)鷲尾(帝)木村(早)宮地(慶)中出(帝)
HB
 奥村(帝)陳(慶)
TB
 北野(慶)大松(早)香山(帝)松村(帝)
FB
 瀬良(立)
 11月23日 秩父宮殿下ニハ明治神宮球場ニオケル早稲田大学対慶應義塾定期試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜フ。
 12月12日 於東京日々新聞社。
 1.早大主催全国高等専門学校ラグビー大会関東予選ノ為出場学校代表者集合シ組合セ日取リノ抽選ヲ行ヒ下記ノ通リ決定。
(イ)12月16日 第1回戦
 浦和高等学校-高等師範学校
 不戦勝者
 青山学院、立教予科、成蹊高等学校、
(ロ)25日 第2回戦
 青山学院-立教予科、
 成蹊高等学校-第1回戦勝者
(ハ)29日 決勝戦
 12月30日 於東京日々新聞社、理事会。
 関西ヨリ遠征軍トノ間ニ行ハルヽ協会主催ゲームノ日程下記ノ通リ決定。
 1月1日 慶應対京大ゲーム
 1月4日 早大対同志社ゲーム
 1月7日 早大京大ゲーム
 1月8日 慶應対同志社ゲーム
 以上ゲームニ関スル打合及係員決定ス。
 1月4日 秩父宮高松宮両殿下ニハ明治神宮外苑競技場ニ於ケル早稲田大学対同志社大学試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜ウ。
 1月7日 秩父宮朝香宮両殿下ニハ明治神宮外苑競技場ニ於ケル京都帝国大学対早稲田大学試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜ウ。
 1月12日 (会合場所欠落)
 2月11日挙行関東関西(西部)両協会対抗ゲーム選手ノセレクションコンミッティートシテ下記諸氏ヲ推薦ス。
 井上成意、橋本寿三郎、早川郁三郎、大槻文雄、奥村竹之助、香山蕃、田辺九万三、滝川純三、松井竜吉、朝桐尉ー、秋山信好、木村文一、杉原雄吉。
 1月14日 於東京朝日新聞社、セレクションコンミッティー。
 1.上海駐屯英国防衛軍チーム招聘ニ関シ打合アリ結局招聘スルコトニ決定。
 1月16日 於東京日々新聞社、理事会。
 1.英国防備軍卜東日特派員トノ交渉ノ顛末報告。
 2.ゲーム日取下記ノ通リ決定。
(第1案)
 29日 対全関東チーム
 2日 対明大チーム
 5日 対慶大或ハ早大チーム
 7日 対早大或ハ慶大チーム
(第2案)
 1.万一日曜ニゲームセヌ旨申出アリタル場合ニハ29日に選抜チームハ練習ヲ行ヒ対英軍ゲームは3校ノミトス。
 2.22日 セレクションゲームヲ帝大グラウンドニテ行フコト。
 1月20日 於東京日々新聞社、理事会。
 1.英国防備軍招聘ニ関スル件ニツキ打合。
 2.セレクションゲームに関スル件。出場者下記ノ通リ。
 15 中村 FW  15 北島
 14 川津    14 吉野
 13 五十嵐   13 石田
 12 鷲尾    12 奥田
 11 下村    11 清水
 10 坂倉    10 高橋
  9 高野    9 宮地
  8 丸山 1/2B 8 芦田
  7 萩原    7 飯田
  6 陳     6 鄭
  5 中島    5 丸山
  4 片岡 TB  4 富沢
  3 寺村    3 堤
  2 堤     2 金子
  1 野沢 FB  1 木村
 3.日本ラグビー蹴球協会ニ関スル下記ノ報告及打合アリ。
(イ)秩父宮殿下ヨリ賜杯御聴済下サレタル旨ノ御内意ヲ伝ウ。
写真・図表
秩父宮賜杯

(ロ)此機會ニ日本ラグビー蹴球協会ノ組織ヲ確定シテ本部ヲ東京ニ置ク様努カスルコト。
(ハ)関東チームノユニフォーム決定。
 1月22日 於東京帝大御殿、テイパーティー。
 セレクションゲーム後開催、橋本理事挨拶、下村宮地答礼アリ橋本理事ヨリ秩父宮賜杯内定ノ趣ヲ披露ス。
 同日於同所、詮考会議。
 1.詮考ノ結果、下記ノ通リ決定ス。
(イ)メンバー
FW 15中村14川津13五十嵐12西島11和田10坂倉9高野
HB 8丸山7萩原6兼子
TB 5丸山4富沢3滝川2堤
FB 1寺村
(ロ)英国防備軍来朝ニ関スル会務等ノ為臨時に寺田治一郎氏ヲ嘱託トスルコト。
 1月27日 於四谷松喜、懇親会。
 1.選抜選手懇親会開催。
 2。対英軍ゲームニ関スル打合。
 3。日本ラグビー蹴球協会ニ関スル件下記ノ通リ決ス。
(イ)宮殿下ノ御都合モアリ東西対抗ゲームハ2月12日トシ関西デ開催スルコト。
(ロ)日本ラグビー蹴球協会役員ノコトハ関西デ協議スルコト。
 1月29日
 上海駐屯英国防衛軍一行ハ午前8時着京、丸ノ内ホテルに投宿、午後2時ヨリ明治神宮外苑競技場ニ於テ全関東チームトノ試合ヲ行フ、此日秩父宮殿下ノ御台臨英国大使閣下夫妻来場等ニ依リ会場光輝ニ充ツ、畏クモ殿下ニハ競技前フイールドニ親シク臨セラレ英軍チームー同ニ握手ヲ賜リ、全関東チーム亦拝謁ノ光栄に浴ス。
 同夜、東京日々新聞社主催歓迎晩餐会 於日本青年館
 2月5日
 秩父宮殿下ニハ本日ノ早稲田大学対英軍試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜フ。
 当協会主催 歓迎大晩餐会(英軍全員)於東京会館
 2月7日
 秩父宮殿下ニハ本日ノ慶應義塾対英軍試合ニ歩兵第三連隊将卒御引卒被遊芝生ニ於テ御台覧アラセラル。
 英軍チーム退京。
写真・図表
田辺九万三(左)の説明を聞かれる軍服姿の秩父宮さま(右)

 同夜 於東京日々新聞社、理事会。
 1.東西ゲームニ関スル打合事項下記ノ通リ。
 2.ピックアップチームニ関スル件。
(イ)ピックアップノ経費ハ別途会計トス。
(ロ)メンバー下記ノ通リ決定。
FW 中村 河田 太田 西島 清水 高野 坂倉 丸山
HB 萩原 堤
TB 丸山 滝川 兼子 堤
FB 寺村
Sub 和田 富沢
(ハ)関西出張役員下記ノ通リ決定夫々通知ス。
 甲、セレクションゲームニ関シ 4人
 乙、日本ラグビー蹴球協会(特ニ殿下御西下及第1回ノ意味デ)ニ関シテ 3人
(甲)ニ属スル人
 協会役員ニテセレクションコンミティー
 木村理事
 理事長 田辺理事長
 役員ニアラサルセレクションコンミティー
 秋山委員
 会計 杉原委員
(乙)ニ属スル人
 井上、香山、橋本三理事
 2月11日 於堂ビル清交社、東西打合会。
 1.日本ラグビー蹴球協会ニ関スル件。
 1.関東関西ノセレクションマッチハ来年2月3日東京ニ於テ行フコト。
 2月12日
 日本ラグビー蹴球協会主催第1回東西協会対抗戦ハ特ニ御酉下アラセラレタル秩父宮殿下御台臨ノ光栄ヲ仰ギ大阪甲子園ニ於テ挙行、此日残雪全ク消エヤラサルモ天気晴朗、絶好ノ日和ナリシヲ以テ観衆実ニ2万数千ニ達シ頗ル盛況ヲ呈セリ関東ハ白、関西ハ黒ノユニフォームニテ試合前両軍選手拝謁ヲ賜ヒ、レフリー巌ラインスメン木村馬場氏審判ノ許ニ関西ノ先蹴ニ開始セラル両軍何レモ精鋭ナレバ大接戦トナリ、前半0-6、後半9-0結局9対6ニテ関東軍ノ優勝ニ帰セリ試合後殿下ニハ選手一同に対シ有難御訓諭ヲ賜ハリ、更ニ特別ノ御思召ニヨル大銀盃ヲ親シク滝川関東軍主将ニ授与遊バサレ御退場両軍感激ニ満チテ此画期的大試合ヲ了セリ。
写真・図表
秩父宮さまから関東・滝川主将に賜杯が授与

写真・図表
試合前に両チームを激励される秩父宮さま(中央)

 4月27日 於KOクラブ、理事会。決定事項下記ノ通リ。
 1.来年度理事候補者推薦ノ件。
 2.今年度事業報告案ノ件。
 3.バッジ意匠決定ノ件。
 4.委員会開催に関スル件。
 5.秩父宮御成婚奉祝献上調製品ノ件。
 6.上海駐屯英国軍ヨリカップ寄贈申出ニ関スル報告ノ件。
 以上
 なお、関東、西部両協会の境界は「静岡・愛知、長野・岐阜、富山・石川の各境界を以ってそれより以東を関東、それより以西を西部に属するものと定められた」と関西ラグビーフットボール協会史に記されている。