《舞台は変わって盟主の座は早と明》


 慶應が日本のチームに初めて敗れたのが1927(昭和2)年の早慶戦だった。この年は東西対抗で京大にも金星を提供してシーズン2敗を記録。殊勲の早稲田時代到来か、と色めきたった瞬間もあったが、豪州遠征で学んだ本場ラグビーの不消化や疲れが解消していなかったのだろう。せっかく打倒慶應の一番乗りをはたしながら、早稲田時代への最初の好機を逸したばかりか、慶應に一時的とはいえ復活の時間を与え、また立教、明治に先を越される結果を招いてしまった。しかし、歴史的にみれば後発の立教、明治の台頭こそが、早稲田ラグビーの活力を引き出し、明治とともに大学ラグビーに新時代をもたらしたともいえる。
 まず明治が1931(昭和6)年に5大学リーグの覇権を握り、関西の京大、同志社も倒して初の全国制覇を達成した。この年度の2位が早稲田ということは、世にいう早明対立の黄金時代がこの瞬間にはじまったということでもある。以来11年間、大学ラグビーは関西も含めて両校が交互に王座を分け合っていくわけでもあるが、多くのラグビー愛好者に支持され続けた最大の理由は対照の妙にある。それはFWのエイトとセブンであり、「縦」と「横」のゆさぶり対決へと結びつく。しかも「縦」にしろ「横」にしろ、とにかく対決で勝ったほうが優勝という、巧まずして出来上がった王座へのシナリオが球趣をいっそう盛り上げていった。慶應ラグビーが明治、大正時代を代表するなら、早・明ラグビーの対立は戦前、戦後の昭和時代を代表する偉大な柱といえるばかりか、日本ラグビーの代名詞ともいえるだろう。
   【関東の優勝】 【全国制覇】
 1927年 ※早稲田    京大
 1928年  慶應     京大
 1929年  立教     京大
 1930年  慶應     慶應
 1931年  明治     明治
 1932年  早稲田    早稲田
 1933年  早稲田    早稲田
 1934年  明治     明治
 1935年  明治     明治
 1936年  早稲田    早稲田
 1937年  早稲田    早稲田
 1938年  明治     明治
 1939年  明治     明治
 1940年  明治     明治
 1941年  早稲田    早稲田
 1942年春 早稲田    早稲田
 1942年秋 慶應     慶應
※5大学リーグ結成の前年のため早稲田が優勝校と認定される。