《日本ラグビーの50周年記念式典》


 日本ラグビー発祥から50周年にあたる1948(昭和23)年10月10日、日本協会主催の記念式典が東京、大阪を中心に全国各地の会場で開かれた。この日の日本列島はあいにくの雨ではあったが、天候に左右されないのもラグビーフットボールの魅力のひとつ。式典はおりからの雨をついておこなわれたが、なかでも盛大だったのは中央会場の東京ラグビー場(後の秩父宮ラグビー場)であった。秩父総裁宮さまからお言葉(別掲)をいただいたのをはじめ、来賓には内外の体育関係VIPを迎えるなど、終戦からわずか3年たらずにもかかわらず豪華な顔触れがそろって式典は大いに盛り上がったが、圧巻は来賓の英国大使館付き武官フィゲス中佐の祝辞である。流暢な日本語を駆使したスピーチもすばらしかったが、それ以上に並み居る日本協会関係者の度肝をぬいたのは「オックス・ブリッジ両大学対日本の大学対抗戦を実現させたい」というショッキングな発言であった。「オックスブリッジ」といえば「一度は日本に招きたい」と、日本協会が戦前から念願としてきたことであり、また奇しくもこの日の式典冒頭でいただいた秩父宮さまの「国際舞台への復帰」を訴えられたお言葉にも答えるメッセージでもあった。このフィゲス発言がきっかけとなったのか、どうか、いまとなっては確かめる術(すべ)もないが、それから4年後の1952(昭和27)年9月にまずダークブルーのオックスフォード大学、つづいて翌1953(昭和28)年9月にライトブルーのケンブリッジ大学の来日(後述)が実現する。この点だけをとっても、日本ラグビーにとっては大きな夢を与えてくれた意義ある「日本ラグビー発祥50周年記念祭」だったといえるだろう。オックスブリッジ来日の道をつけてくれたフィゲス中佐とは、かつてYC&ACの名セカンドローとして活躍した日本通でもある。
 式典は日本にラグビーを伝え、その発展に力を尽した草創期の先達たち、学校、そして法人の表彰(別掲)があったあと、会長高木喜寬の発声で「日本ラグビー万歳」を三唱して、招待試合へと舞台を雨中のグラウンドへ引き継いだ。それにしても式典の最後が万歳三唱とは、戦前、戦中の名残を偲ばせる終戦直後の日本らしい発想ではあった。
【表彰された功労者と法人】
 田中銀之助 E. B. クラーク 猪熊隆三 森五郎兵衛 松岡正男 櫛山次郎 真島進 中村愛助 稗田幸三郎 スペンス B.エブラハム J.エブラハム 慶應義塾大学 第三高等学校 同志社大学 慶應義塾普通部 京都一中 同志社中学 京都一商 毎日新聞社 朝日新聞社 近畿日本鉄道 奥村信太郎 種田虎雄 大倉喜七郎
〈総裁 秩父宮さまのお言葉 〉
 今日ラグビー五十周年記念式典をラグビー専用グラウンドで祝う事が出来るのは何よりの喜びであります。敗戦後の混迷の中で、多くのものが未だ復旧さえしない時に、多年待望のラグビーグラウンドが生まれた事は、もちろんラグビー人の熱と協力のたまものではありますが、一面社会的にラグビーが如何に重視されていたかを物語るものであると思います。
 私は今日の機会に、五十年前今日では想像もつかない幾多の困難を克服してわがラグビー界の立派な礎石を築いた大先輩の諸君ならびに爾来ラグビーの伝統を正しく守って今日の隆盛をもたらす事に努力した先輩諸君に心から敬意を表し賞賛の辞を述べるものであります。
 終りにわがラグビー界が美しい伝統の上にいよいよ発展して文化日本の建設に貢献することを願い、併せて再び国際競技への参加が出来る日の一日も早からんことを祈ってやまないものであります。
日本協会招待試合】(1948年10月10日、東京ラグビー場)
第1試合(全OBvs.学生選抜) 第2試合(超OB紅白試合)対戦記録表