《ラグビー会場にフェンス広告が登場》


 日本ラグビーの聖地ともいうべき秩父宮ラグビー場に史上初めてフェンス広告が登場した。1978(昭和53)年1月2日のことである。大学選手権準決勝、慶應−日体、明治−専修の2試合がこの日のカードだったが、相変わらずラグビー人気は上々。スタンドは満員のフアンで埋まったが、それまでのラグビー会場とひとつ違ったのは、両ゴールポスト背後とバックスタンドのフェンスいっぱいに張りめぐらされた広告幕の数々である。キックオフ直前に来場したフアンは別にしても、試合開始の前からメーンスタンドに陣取っていたフアンの皆さんの目には、これらバックスタンドの広告幕がいやでも飛び込んできたことだろう。ラグビー会場で初めて目にする広告幕の反応は…。協会関係者の間では気になることではあったが、この件についての抗議などはなかったようである。日本協会、スポンサー、そして秩父宮ラグビー場を管理する国立競技場にとって平穏に過ぎたフェンス広告初日はまずまずの幕開けとなった。このフェンス広告の突然の登場について当事者ともいうべき日本協会理事、事務局長の小林忠郎が協会機関誌にそのいきさつを綴っている。
 「…ラグビー協会がラグビーグラウンドに広告を出すことを認めて、実施されたのは初めてですが、国立競技場としては既に昨年の春に代々木のプールでアイスホッケーの世界選手権が開催された際、アイスホッケー連盟の要請で広告をリンクのフェンスに出し、さらに日本カナダ、ソ連の3国対抗にも出しています。…実は日本ラグビー協会では3年前から国立競技場に対し、ラグビーに広告をとって収入の増加を企てて欲しい申し入れをし、それから折りにふれ機にふれて言い続けてきたのです…」。
フェンス広告が初登場
写真・図表
秩父宮(上)
国立競技場(下)
写真・図表

 世界に目を向けると、すでにイングランドのトィッケナム、ウェールズのアームズパーク(現ミレニュアム)、スコットランドのマレーフィールドなどホームユニオンの専属ラグビー場では、はやくからフェンス広告による収入増を図っているのがラグビー先進国の現状だそうだが、試合のないウィークデーにゴルフの練習場として収益を計るより、フェンス広告による収入は芝生の保護をはじめラグビー場の維持、管理という点でベストのアイディアといえるだろう。国立競技場第一業務部五十嵐久史が月刊国立競技場(国立競技場発行)に「国立競技場の利用状況を顧みて」と題する記事を掲載しているが、それによると「…企業がスポーツに参画する方法として二つに大別することができる。その一つは冠スポンサー(冠大会)が大会総経費の主要部分を負担し、大会名や賞杯に企業名、商品名をつけて主催または協賛するものである。…冠をつけることによりパブリシティー効果、マーク、ロゴの活用、招待券キャンペーンとして消費者、販売業者への販売促進を目的としている。もう一つの協賛スポンサーについてであるが、一般的には経費を分担する方法である。フェンス広告、ポスター、プログラム、マーク使用権等のメリットを持つもの…」と説明されているが、後者のフェンス広告について「特にラグビー試合は人気があり、スタンドが満員となり、テレビ中継も加えてフェンス広告は年々増加している」と、ラグビーとフェンス広告の蜜月ぶりを記している。
 そして、この五十嵐レポートを裏付けるのが、1982(昭和57)年度の早明ラグビー(国立競技場)の有料入場券発売数66,999枚と、早慶ラグビー(秩父宮ラグビー場)の有料入場券発売数が23,060枚であり、ともに両競技場の記録を作った点である。ラグビーに対するフェンス広告がピークの時代といえるだろう。現在の時点で秩父宮ラグビー場のフェンス広告に協賛してもらっているのは5社。1982年度のころとは比較にならない数字ではあるが、新会長森喜朗のもと、日本協会の機構改革、ジャパンの強化…など、21世紀の日本ラグビー復活へ関係者一同、心を合わせて動き出している。今後の歩みを注目していただきたい。