《前身はNHK杯》


 日本選手権大会の前身は第1回NHK杯争奪戦と銘打つ新しい試みである。その画期的な新企画は1961(昭和36)年1月29日午後2時35分から秩父宮ラグビー場で行われた。対戦カードは社会人大会優勝の八幡製鉄と関東大学チャンピオンの日大戦。試合に先立ちまずは花やかな開会のセレモニーで幕を開けた。両チームの選手がウオームアップをしているところへヘリコプターが飛来して花束とボールが投下されるという日本のラグビー界では例のない派手な趣向に、スタンドのファンから大きな拍手が送られた。試合は50-13の大差で八幡製鉄が快勝。社会人の強さを際立たせる結果となったが、勝敗はともかく1961(昭和36)年度といえば、関東の大学ラグビー界では対抗戦方式(揺れる大学ラグビー界参照)を巡る混乱の時代。そうした環境の中でNHK杯争奪のタイトルのもと、社会人と大学チャンピオンが日本一の座を争う新しい試みは、それまでの「対抗戦こそ至上のもの」とする固定観念に風穴を開けたばかりか、日本選手権をはじめ各種の選手権時代を切り開くきっかけともなる日本協会の英断だったといえるだろう。日本ラグビー史でも「…短期間ではあったが、ひとつの歴史的役割をはたした…」とNHK杯の設立を高く評価している。
 NHK杯からバトンをうけた第1回日本選手権は1964(昭和39)年3月20、22日の2日間、大阪の花園ラグビー場で開幕した。選手権への出場資格は社会人1、2位の八幡製鉄近鉄と大学の東西各1位の法政、同志社の4チーム。結果は関西大学チャンピオンの同志社が八幡製鉄近鉄の社会人を連破して日本選手権初代チャンピオンの座についた。日本ラグビー史は「…歴史の上でも、往年の京大の全国制覇にまさる偉業であり、戦前長く関東の後塵を拝した関西ラグビー界のため万丈の気を吐いた大殊勲であった」と賛辞を贈っている。
 確かにNHK杯から第1回日本選手権にかけての1960年代前半は社会人と大学の力が拮抗していた時代といえるが、なかでも大学会では関西を代表する同志社の実力は図抜けていた。NHK杯では関東の日大、明治がいずれも八幡製鉄に挑戦して敗れているのに対し、同志社は第2回大会で社会人代表の近鉄を破って優勝。そして日本選手権(花園ラグビー場)へと移行した今回でも近鉄を降して名実ともに日本一となっている。若い同志社フィフティーンを日本一に育て上げた青年監督、岡仁詩の喜びの言葉を再現してみよう。「…幸運であったと思います。八幡戦が非常な悪コンディションであったことも間接的にはその一つかも知れません。しかし私の幸運であったというのは努力なしで得られた幸運ではありません。この大切な二つのゲーム(八幡製鉄戦と近鉄戦)に常に選手が持てる力を十分に出しきったということなのです。…とにかく一生懸命、全力を出しきったという満足感が私たち同志社のラガーマンのすべてです。…」―と。
 監督岡仁詩は同志社の優勝を「幸運」だったという。そしてその幸運は「間接的ではあるが悪天候がもたらした」とも語っている。確かに第1日の第1試合(近鉄-法政)は35分ハーフ、第2試合(八幡製鉄-同志社)は30分ハーフで行われた。第2試合になって最悪のコンディションとなったための試合時間短縮であるが、近鉄監督の中島義信は、日本協会機関誌への寄稿で、この問題について「第1試合は35分ハーフで行われ、第2試合はグラウンド条件が悪いとはいえ、レフリーの作為か不作為か不明であるが、30分ハーフで終ったことである。…協会やレフリーが試合の全ての権能者でないということである。…」と、抗議にも似た厳しい意見を記している。同志社監督岡仁詩が同じ機関誌で、優勝の喜びを控えめに表現しているのとは対照的。そこには勝者、敗者の立場を越えた両監督の関西ラグビー界における当時の存在がそのまま「活字」となったようにも受け取れるが、試合時間の短縮についてはいろんな見方があるにしても、ここでひとつはっきりいえることは、同志社の優勝がみずからの力で勝ち取った立派な勝利だった点である。
 ところで、日本ラグビー史のいう「関東の後塵を拝していた」関西から大学チームが、社会人の2強を倒してラグビー日本一の座を獲得できた理由はどこにあるのだろう。考えられる答えはひとつ。それは関東大学ラグビー界が試合方式で思考錯誤をくりかえしているとき、関西大学界は、日本選手権設立に歩調を合わせて機構整備を行ったことである。すなわち1964~65年度にA、B両ブロック制を採用、スケジュールの円滑な進行を制度化するとともに、Aブロックを有料試合有資格と決めて、Bブロックのチームとの間に格差を設けたこと。これによって、リーグ戦の活性化を図ったことが関西大学ラグビーのボトムアップにつながり、同志社ラグビーを日本一へと押し上げる結果となったのではないだろうか。もちろん、同志社に限っていえば優秀な素材のスカウティングというスタッフの努力が下地となっていた。
第1回日本選手権大会決勝(花園ラグビー場)
第1回日本選手権大会決勝 メンバー表

第1回日本選手権大会決勝 対戦記録表