戦後の学制改革とともに高校体育連盟という組織が発足した。
日本ラグビー史によると「…全国的な中央統制機関の設置が要望され、既存の県単位の地方体育機関を統一して、ここに『高体連』が名実ともに組成された。そして1950(昭和25)年になって高体連内に各種スポーツの専門部門が設けられ、ラグビーもその1部門となり、同年12月31日、大毎主催の第30回全国高校ラグビー大会の開始を前にして、ラグビー部の全国組織がつくられた」とあり、初代の責任者には東京代表の高崎米吉が選任されている。また、全国高校ラグビー大会との関連としては、戦前の大阪毎日新聞社主催から戦後の主催
日本協会、後援毎日新聞社に加えて、高体連も発足後は後援に…。そしていまではこれら3者の共催という形で大会は運営されている。
日本ラグビー史が高体連の存在を高く評価するのは①学校教育、体育指導の立場から、着実にその使命を果たしている②自主性の尊重を打ち出している③体育実践上の規範を示している―などの点とともに「戦前の中等学校や高専で、スポーツが野放しの状態におかれていたのと比べて、まさに百歩を進めた改革であること言をまたない」と結論付けているが、教育の一環としての高校ラグビーであることを考えると、全国高校大会の健全な発展に高体連ラグビー部会は欠かすことのできない存在である。