戦前の連勝記録としては中学大会創設の大正時代に同志社中学が5連覇と3連覇を。また京城師範が第13回大会から第15回大会まで3年連続優勝を飾っているが、最近の記録としては
啓光学園の4連覇という大記録がある。仮に
啓光学園が2005(平成17)年度の第85回大会をも制していたとすれば、同志社中学の5連覇に並ぶ大記録となっていたわけだが、惜しくも準々決勝で同じ大阪代表の大阪工大高にその夢を絶たれてしまった。だからといって平成の4連覇が色褪せるわけでもなければ、同志社中学の5連覇に劣るわけでもない。大正時代と平成時代の大会記録を同一線上で論ずること自体に無理がある。とにかく代表校の数が51校という平成のマンモス大会で
啓光学園が記録した20連勝、大会4連覇という大記録は、出場校が2校から多い年で4校という時代の記録とは、価値が違うし、比較の対象にもならない。
日本選手権の
新日鉄釜石、
神戸製鋼が記録した7連覇、大学選手権で同志社によって樹立された3連覇とともに
啓光学園の高校大会4連覇は、
日本協会80年史を彩る戦後の3大記録として、後世に長く語り継がれる。
また、全国中学・高校大会を通した記録を語るとき、どうしてもはずせないのが東北の雄、
秋田工と奈良の天理である。
秋田工の初優勝は1934(昭和9)年の第16回大会。以後、第27回大会から第29回大会までの3連覇、そして2度の2連覇を含めて通算15回の優勝は、この大会の最多記録であり、出場回数でも61回と最多を誇っている。この
秋田工につづくのが天理の通算6度の優勝と58回の大会出場はともに歴代2位。優勝回数では
國學院久我山が通算5度で3位に食い込んでいるが、天理にしても固學院久我山にしても惜しむらくはともに連覇の経験がない。その点、回数では劣るが、2連覇達成校としては、戦前の撫順中学(旧満州=現中国東北地方)はじめ、戦後の高校大会では前述の
秋田工とともに目黒、
相模台工の関東勢がそれぞれ1度ずつ記録している。
なお、全国高校大会出場の優秀選手による東西対抗試合が1973(昭和48)年から
日本選手権(1月15日)、あるいは大学選手権決勝の前座試合として行われてきた。
日本協会機関誌JAN.2004(Vol.53-4)号によると、27回目の対戦は34-31で西軍が逆転勝ちしているが、昨2005年度(第28回対抗戦)の対戦記録については機関誌の記録面から欠落しており、詳細はいっさい不明となっていることを付記しておく。