2006(平成18)年度高校日本代表の海外遠征地とその日程が6月8日、日本協会から報道各社に発信された。本年度の遠征地はオーストラリア。7月24日に関西空港を出発して豪州のタウンズビル、ゴールドコースト、シドニーなど東海岸の3都市で3試合を行い、8月4日に帰国というのが今年度の日程であるが、高校日本代表と海外遠征の歴史をたどれば、いまから35年前の1971(昭和46)年開催の第50回大会へと遡る。日本協会、高体連、そして毎日新聞社の主催3者が大会50周年の記念事業として、高校日本代表チームを編成。カナダヘの遠征を実施したのが、事の始まり。遠征の時期は年度末の1971(昭和46)年3月20日から4月5日までの2週間。日本協会理事小林忠郎によると①カナダが一番、愛情をもって迎えてくれるのではないか②カナダなら対等に、あるいはそれ以上に闘えるのではないか―の2点が、カナダを最初の遠征地に選んだ理由だったそうだが、協会関係者の期待通り5戦して3勝2敗と勝ち越すなど、初遠征にしては大成功。コーチとして参加した岡仁詩(同志社大学監督)も、日本協会機関誌に「…今回の遠征の成績の3勝2敗というのはやや不本意の感を持たれる方もあるかと思いますが、選手諸君が民泊を初めとした色々未経験の環境の中で戦われた結果としては、私は心から敬意を表したいと思います。全勝できたかどうかは、遠征と外(国)人に対する馴れができると充分現在の力で成し得られると思うのです。しかし、逆に考えると、それらのハンディキャップを乗り越えるだけの技術は持っていなかったともいえます」(要旨)と代表選手たちの健闘を称えながらも、今後の課題について述べている。
いずれにしても、このカナダ遠征がきっかけとなって、その後はオーストラリア、ニュージーランド、そしてホームユニオン4カ国…と遠征地をシーズンごとに変えながら、世界のラグビーに接することで、高校のレベルアップに繋げる一方、多くの日本代表選手、さらには次世代の技術指導者が、これら歴代の高校日本代表の中から巣立っていった。格好の例を挙げるとするなら高校日本代表として1976(昭和51)年のイングランド遠征メンバーだった勝田隆など、その最右翼といえるだろう。前の強化委員長で、現在は日本協会競技力向上委員会長(執行理事)である。技術面で、あるいは国際派として日本ラグビーを支える貴重な人材のひとりでもある。
高校ラグビーに限らず、世の中には明るいニュースばかりではない。2002(平成14)年度のイングランド遠征高校日本代表が、壮途を前に遠征中止という厳しい現実に直面している。イラク戦争不可避とする国際情勢の悪化がその理由。日本協会は2003(平成15)年2月21日開催の理事会で「高校生の生命と安全を最優先させる観点から遠征中止」を決議。次のような声明を発表するとともに、その全文を日本協会機関誌に掲載した。