戦前から開催されてきた「全国高等専門学校大会」は1948(昭和23)年の学制改革で第21回大会(1949年1月2~6日)をもって消滅した。もちろん大会そのものは「全国地区対抗大学大会」と名称を変えて継続している(前項参照)が、ここでの主題である「全国高等専門学校大会」(以後高
専大会)について、大会名称そのものは同じであっても、戦前からのそれとはまったく内容的に異質の大会であることをまず指摘しておきたい。戦後の学制改革で新しく生まれた「高等専門学校」の就学年限は5年で高校よりは2年多く、大学よりは2年少ない、ちょうどその中間的な存在。名称に「専門」の2文字があるように、工業あるは商船といった特殊な専門教育を担当する学校がほとんどといえる。2005(平成17)年度の
日本ラグビー協会への登録チーム総数は全国でわずかに49校。1都1道2府43県というから単純計算でいけば1県1校の最少県が45県ということになる。それでも大会が発足した1970(昭和40)年度の第1回大会(奈良・天理)から全国8地区の代表が参加。節目の第20回大会(1988年度)には12代表、そして第26回大会(1995年度)からは大会設立当時の出場枠を8校から2校増やして10代表に固定するなど、大会関係者はじめ加盟各校の献身的な努力と情熱に衰えはない。
関西協会の丹羽正が第1回大会の総括原稿の最後で記している。「…高専は各校とも実験、実習に追われ練習時間がなく、又試合数が少ないので試合内容に不安を感じていたが、いざ始まってみると各所に好プレーが見られ、開催してよかったと思っている。しかし基礎プレーを更に身につければより立派なゲームが出来ると思われる。大会出場校は勿論、予選に参加した学校は本大会を目指し、益々練習に励まれ、大会をより盛大にしてほしいものと祈念する次第である」―と。
丹羽正の願いは十分に達成されたといえるだろう。第1、第2回の会場を提供した天理教会の協力があってはじめて実現した大会ではあるが、同時にその後の大会会場のほとんどを引き受けてきた兵庫県協会、そして神戸市、姫路市の協力が今日の高
専大会を育て上げたといっても過言ではないだろう。それともう一つ付け加えておきたいのは、開催地の出場校が1回戦の会場に自校のグラウンドを提供するなど、大会の運営にある意味で責任を持っていた点である。また、技術面においても開催県代表の神戸市立工業高専が2005(平成17)年度の第36回大会を制して3連勝、5度目の優勝をとげているが、
日本協会機関誌の大会総評は「…近い将来神戸市立工業高専から高校代表あるいは、U19などに選出される優秀なプレーヤーが出てくるのもそう遠くない…」という表現で文章を結んでいる。大会3連覇といえば、過去に第1回大会から第3回大会まで3大会連続優勝の
北九州高専、第31大会から連続3大会を制した宮城高専があるが、さて神戸市立工業高専にとって2006(平成18)年度の第37回大会は史上初の4連覇を狙う絶好の機会でもある。神戸市立は兵庫県高体連主催の各種大会に参加して積極的に高校チームとの交流をはかるなど連覇を狙ったが、惜しくも決勝で東北代表の18年連続27回目出場の宮城工業高専に破れてしまった。